ライオン誌日本語版1991年11月号
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- ストラリアを含む大洋州地域の地区
次に取り上げられるときに︑こ
巻頭のライオンズ国索引と各国結成
番号は㎜番台︑東洋東南アジア地域
は30番台が当てられている︒インド
れは改めて問い直されることに
順位一覧には残っていたが︑ついに
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なるのだろうか︒それよりも︑
一九六六年度版から抹消された︒
ネシアは国際会則上の地域では大洋 州 に 含 ま れ る が ︑ 地 区 番 号 は 0とな 3
っているのはなぜか︑疑問に思う人
も多いことだろう︒
東洋東南アジア地域間のライオ
蛇足ながら︑一九六五年十二月号
ンズの一体性と︑その交流をい
の﹁シカゴだより﹂には︑マレーシ
かに進めるかが当面の課題では
ないだろうか︒
アからシンガポールが分離したが︑
インドネシアのジャカルタη.が解体
事実︑このことは毎年開かれる東 洋東南アジア・フォーラムでも話し 合われ︑一九八四年の札幌フォーラ
ムでは︑﹁国際理事会で正式に承認 された場合︑直ちに細地区︵インド ネシア︶ライオンズを︑東洋東南ア ジアの新しい正規構成員として心か ら歓迎する﹂と決議され︑続いて八
ところで︑失脚前のスカルノ
したため︑ライオンズ国は依然一三
大統領時代にライオンズクラブ
ニカ国にとどまったと伝えている︒
があったはず︑という強い記憶
パ世界年鑑﹄︵共同通信社刊・一九九
に迫られて︑時間をかけて﹁ラ
一年版︶は多くを語らないが︑バン
イオン誌﹄の古いバックナンバ
ドン会議後︑スカルノ大統領は左傾
ーをめくっていると︑一九六〇
化し︑対中接近やマレーシア対決︑
年十月号の﹁躍進するライオニ
国連脱退などの自主外交を展開︑一
ズム﹂の欄に︑一〇七番目のラ
九六五年には親共青年軍人による陸
六年のソウル・フォーラムでも﹁O
イオンズ新国としてインドネシ
相殺害と︑革命評議会を樹立すると
SEA﹂地域の名称を︑現在の可東
洋東南アジア︑フィリピン諸島およ
アがあげられていた︒スポンサ
いう騒ぎを起こした︒これはスハル
ー・クラブの記載はなかったが︑
ト陸軍戦略予備司令官によって一日
びブルネイ﹄から可東洋東南アジ
ア﹄に変更するよう︑ライオンズク
ラブ国際協会に助言するLと決議し
ているのも︑同じ趣旨であろう︒
灘
やはりジャカルタにできた新ク
︑ \
で制圧され︑翌年︑スカルノ大統領 ﹂
牌
③
ラブの会長は︑研R・スギアル
から政権を委譲されてスハルト大統
トとあつた︒その年の国際名簿
領代行が就任︑マレーシア和解︑国
にも︑このクラブの結成は一九
連復帰︑対中国交連結を断行し︑六
ところがフォーラムは決議機関で はないためか︑あるいは仲介する国
六〇年三月二十九日と記されて
八年にはスハルト大統領による﹁新
いる︒ところがその翌年︑翌々
秩序﹂が宣言され︑外貨導入による
号
際理事の努力が足りないためか︑今
のところその実現の見込みはないよ うだ︒十年に一度の見直しが約束さ れている国際理事会構成員の問題が
年度の名簿にも同じ会長名が掲
経済開発が始まった︒
−
用
載されクラブ役員の報告がない
ライオンズは政治に関与しないが︑
窺
*マークがつけられ︑一九六三
政治情勢の影響から無縁ではいられ
年度版からは本文から外された︒
ない︒一九六〇年に誕生したジャカ
m 山 n
叉
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