ライオン誌日本語版1991年11月号
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- 今︑ソ連の若者は
田村 達之助
︵鳥取カラ︶
ン支持だと明言する︒返す刀で日本
の経済市場を﹁貴国の大企業は市場
を独占している﹂と評したので︑
め大面 含の全
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﹁日本は公正取引委員会があり︑修
㍗D
正されつつある﹂と説明した︒私が ﹁日本の若者は国外へ出て︑ビジネ
.豊驚
子見我 ゜⁝
も目の 供る々
こ こ へ じ じ と
大 ︑対な
もをるう. 人物すろ⁝
六月二十二日から十日間にわたり︑
る︒名前を知ってこそ実体に近づけ
ス︑勉強︑レジャーにと世界に向け
ソ連を訪れた︒滞在中︑日ソ親善協
るのでは⁝⁝Lとたずねるので︑千
円札をとり出しながら﹁この人は日
本を代表する文豪で︑夏目漱石だよ︒
て行動している︒あなたもそんな若
会の一員として︑沿海州平和委員会
との友好交流会をウラジオストック
者のたくさんいる日本へぜひいらっ
に ㌫
は々明動⁝ ト人失運⁝
スの ︑す⁝
しゃい﹂と提案すると︑﹁行きたい
力百を動.
フ万知員.
﹇もせ促 ア人らを
市で開催した︒三日間におよび極東 大学日本語科の学生たちの親日的な 歓待を受け︑それを通じて触れた若 者の姿を思い出すままに紹介してみ
たい︒
彼はありのままの姿で生きたい気持
ちを書いたのだよ﹂と話し︑お互い の手帳に住所と氏名を書きあって︑
今後の文通を約束した︒
が︑いまは難しいので文通している︒
て切的.
視何さな
日本まで一カ月かかっていた手紙が︑
ペレストロイカ以降は二週間以内で
ことを知りたいという意欲に燃えて
届く︒これもグラスノスチのお陰
いた︒
バレー︑バスケット︑サッカー︑ スケートとスポーツの大好きなハン
だ﹂と素直に喜ぶ︒試しに私がレニ
しかに九日間で我が家に着いた︒
今回の旅に通訳として最後まで同
長い金髪で青い目をした東洋文学 専攻のコワルック・マリナさん︵十
九歳︶︒航海士の父︑理科の先生の 母をもつ彼女は︑地理︑音楽︑バレ ーボールが得意で︑スヌーピーのテ レビ漫画に声を上げてはしゃぐ︑明
ングラードで投函した絵葉書は︑た
行した現地ガイドのユーラー君︵三
サムな学生︑チャリコフ・ジマ君
︵十九歳︶︒海軍軍人の祖父をもち︑
十歳︶は独身で親日派だ︒来日した
地学者の父と医者の母をもつアレ
こともあり︑日本女性との結婚を考
父はコンピュータ技師︑母は独・
仏・伊語の翻訳家で︑兵隊には志願 しないとズバリ答える︑経済学専攻 の若者だ︒彼は明確にエリツィンを 支持し︑ゴルバチョフは保守派だと 説明して︑僕の友だちは皆エリツィ
クス君︵十九歳︶は︑﹁エリツィン
えたが︑父の反対でかなわなかった
もゴルバチョフもともに母国を思っ
由︒いま働いている国営観光事業所
ている人で︑両者ともにソ連のため
も︑業績が悪く人員整理が進み︑残
朗快活で瞳の美しいお嬢さんだ︒日
本文学に興味を示すので︑我が国の 代表作品の一つだと言って﹁我輩は
に必要な指導者だ︒二人が力を合わ
っている者は百六十忽だった給料が
せればきっとこの国は立ち上がるの
半分の八十忽になったという︒しか
で︑日本の協力を頼む﹂と結んだ︒
し︑七月一日からフィンランドとの
号
胡
猫である︒名前はまだない⁝⁝﹂を
教えると︑彼女はすかさず﹁名前は 大切だ︒人でも鳥でも花でも︑いっ たん関心を抱くと名前が知りたくな
● ●
この若者たちは︑日本の言語︑文
合併会社となり四百忽の月給になる
コ
化︑歴史︑風俗︑習慣に至るまで関
●
と喜んでいた︒参考までに彼から知
馴
心が高く︑私たちに接することを絶
●
らされた職業別給料は︑先生百五十
㎞
好の機会ととらえ︑少しでも多くの
忽︑運転手は八百忽︑道路工夫は千
吐
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