ライオン誌日本語版1991年11月号
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- 忽︑炭鉱夫は三千吾︑と︑日本では三
まり︑日本を自転車で走破して先進 国日本を肌で知りたい︒自転車の交
通規則︑また野宿が可能かと尋ね︑︑
物見遊山の若者を招くよりは︑まじ
てみて︑いかに難行苦行であるかが
号
Kと称される労役が高賃金だ︒これ
では勉学に励む若者は報われず︑こ んな不公平では国の将来が不安だと
嘆いていた︒
めに日゜本を学ぼうとしている若者に
分かった次第です︒
朔
こそ支援の手を差しのべたいもので
ある︒
皆出席の最大のポイントはライオ
m
J
資金稼ぎのアルバイトの就労先の確 保が心配だと綿々と記してあった︒
ンとしての﹁誇りと自覚﹂であるこ
㎜
︵紙店・56歳︶
とは申すまでもありませんが︑大切
若者たちは苦悩を抱えながら国を
興すのに懸命だ︒ウラジオストック
皆出席二十六年間を達成して
佐藤
︵新潟県・越後吉田プ︶
なのは健康であること︑そして常に
百
山
スケジュールを例会に合わせること
を極東重要軍事基地から︑環日本海
時代の文化と経済の友好交流窓口に︑
です︒例年︑会員の出席率が問題に
なりますが︑各クラブ単位の運営に
と願っている︒日本海に平和と繁栄 の陽が昇る︒国家体制のこだわりを 捨て︑若者たちに交流の手を差しの 一九九一年六月十九日の第六二五 回例会で︑二十六年間メーキャップ なしの皆出席を達成することができ ました︒これはひとえに会員の皆さ んと事務局の才媛の協力のたまもの
と感謝しております︒
は出席率が大きなウエートを持って
いると思いますので︑出席委員長は
長いようで短くも感じられます︒私
いろいろとアイデアをだし︑一人で
べることこそ︑新しい国際化への貢
献策ではなかろうか︒
の生涯を通じての誇りある参加は︑
も多く参加するようにリードして頂
貴重な体験であると同時に何にも勝
きたいものです︒
帰国後︑同行した舅松下弘は三十 歳の海洋研究所勤務の青年から︑上
手な日本語の手紙を受け取った︒
る財産であると自負しております︒
私の好きな言葉を申し上げ︑ライ
以前︑ライオン誌で二十年間を皆
オンズの発展を祈念します︒﹁人に
勤で通された方の記事を読み感激し
一口に二十六年と言いましても︑
は愛を︑花には水を﹂﹁思う念力︑
﹁私はイワンと申します⁝⁝﹂に始
たものですが︑今︑私自身が経験し
岩をも通す﹂ ︵歯科医.66歳︶
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