ライオン誌日本語版1991年11月号
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- して従軍してきた米国陸軍軍曹であ 弟康治の現状を知った盛勇氏の要
請にこたえて︑隊長のバス少佐は自 ら護衛兵を率い︑直ちに軍用の車輌
を名護山中に向かわせた︒
る︒
二期を歴任して昨年退官した︒現在
動に専念され︑社会奉仕活動の分野
号
は放送大学のビデオ学習センター長
でも幅広く活動されていると聞く︒
朋
たとえ国命とはいえ︑父母の郷里
で愛する肉親︑同胞たちに銃口を向
の要職のかたわら︑県振興開発審議
四男盛栄氏は斥候の生き残りの一人︑
飢
会会長として情熱を傾注している︒
大城浩氏とともに名護η.︑五男憲六
けねばならぬ盛勇氏の心痛は︑察す
消え去っても決して不思議でなか った彼の命の灯は︑本人の不屈な精
るに余りあるものがある︒
東江家の七男二女の兄弟姉妹はそ
氏が浦添てだこη.で奉仕活動に精進
L
㎞
ろって健在であり︑次男盛勇氏はカ
されていることに縁の深さを思う︒
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沖縄で育ち︑方言も話せる盛勇氏 神力︑肉親の熱い思い︑そして﹁偶
然﹂とひと言で片づけるにはあまり にも見事な︑人々の善意の連携プレ
ーによって再び灯った︒
リフォルニアで伝道師として布教活
︵インテリア業・63歳︶
の﹁私は名護アガリヤー︵屋号︶の
東江ですが⁝⁝﹂の呼びかけや説得
は︑洞穴︑濠︑古墳︑山中の避難小
屋から多数の命を救った︒
小豆島オリーブマラソン
戦争はまさに﹁奇跡﹂としか言い ようのない事実をも生み︑彼の生還 によって︑我々学友たちの心も救わ れた︒彼の体験は︑同期生のなかで もきわめて特異なものであり︑人生
の深みを覗き見たとでも言うべきか︒
その噂を耳にし︑我が子であるこ とを確信した父親は︑危険をもかえ りみず一人で山をおり︑移民時代に
楠 宗久
︵香川県・小豆島東η・︶
瀬戸内に浮かぶ小さな島︑小豆島︒
その映画の舞台となった私たちの
身につけた英語を頼りに戦場を尋ね まわり︑ついに情報司令部で十余年 振りの親子の再会を果たすことがで
きた︒
壼井栄の小説﹃二十四の瞳﹄が再度
町︑内海町では小豆島オリーブマラ
映画化されたこともあって︑全国的
光客で賑わいを見せています︒
ソン全国大会を開催しており︑回を
戦後︑彼は米国留学を修了︑琉球 大学教授︑教育学部長︑さらに学長
にその知名度が広がって︑多くの観
重ねるごとに参加者も増え︑第十四
回にあたる今年の大会には四千人を
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︵力タログ送呈︶
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丸鉄丸屋栄武屋屋越越越屋屋ハ鉄 社蒜 薫⑩
古古
大近大松丸西松天三三三井玉ト近 阪阪都屋屋橋岡山島山松倉岡分府 大大京名名豊静岡広松高小福大別
店屋丸屋屋店屋屋屋越野越田越井
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聴
下に
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三高大松松東高高さ三上三山三今 京京京京京京宮浜崎葉宮台島幌幌 東東東東東東大横川千蹄仙福札礼
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