ライオン誌日本語版2017年7月号
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- 肥前吉田焼デザインコンペ入選作の一部
選 ば れ た 10 点 は 3 月 の 嬉 野 茶 寮 で お 10 ㌔ ほ ど 河 口 へ 下 る と 、 蔵 造 り の 家 津 は 河 港 と し て の 歴 史 に 幕 を 下 ろ す お り 、 非 常 に 重 厚 な た た ず ま い を 見 嬉 野 の 温 泉 街 か ら 塩 田 川 に 沿 っ て を 機 に 川 の 付 け 替 え が 行 わ れ 、 塩 田 に は 、 居 蔵 造 り の 家 が 17 軒 現 存 し て
国 内 外 の デ ザ イ ナ ー 1 0 9 人 が 参 加 。
と 始 ま っ た の が デ ザ イ ン コ ン ペ で 、
そ ん な 吉 田 焼 の 可 能 性 を 広 げ よ う 販 売 さ れ る こ と に な っ て い る 。
グ ラ イ フ デ ザ イ ン 賞 を 受 賞 し て い る 。 化 さ れ て 肥 前 吉 田 焼 窯 元 会 館 な ど で 続 き 、 ま す ま す の 繁 栄 を 見 せ る
て 2 0 1 0 年 グ ッ ド デ ザ イ ン ・ ロ ン 披 露 目 さ れ 、 更 に 今 後 、 実 際 に 商 品 な ど 、 時 代 の 先 端 を い く 開 発 が
津 の 発 展 に 大 き く 関 わ っ た の が 「 天 半 を 焼 失 し た こ と か ら 、 火 事 を 出 さ る 磁 器 の 焼 成 が 行 わ れ 、 最 盛 期 に は
行 き 来 し て い た ら し い 。 中 で も 塩 田 火 を 始 め 5 度 に わ た る 火 事 で 町 の 大 館 が あ る 。 こ こ も か つ て 天 草 石 に よ
そ の 潮 を 利 用 し て か な り 大 き な 船 が 1 1 ) 年 や 寛 政 元 ( 1 7 8 9 ) 年 の 大 へ 3 ㌔ ほ ど 行 く と 、 志 田 焼 の 里 博 物
有 明 海 の 干 満 差 は 5 〜 6 ㍍ も あ り 、 蔵 造 り に な っ て い る 。 正 徳 元 ( 1 7 ま た 塩 田 川 を 外 れ 、 塩 田 津 か ら 北
廻 船 問 屋 や 商 家 が 建 ち 並 ん だ 。
都 市 と し て 栄 え 、 約 1 ㌔ に わ た っ て こ と 。 簡 単 に 言 え ば 店 舗 兼 住 宅 な の は 塩 田 津 を 代 表 す る 町 家 と し て 、 往
ま た 有 明 海 の 干 満 差 を 利 用 し た 河 港 と 呼 ば れ る 家 屋 が 数 多 く 残 っ て い る と 、 国 登 録 有 形 文 化 財 の 杉 光 陶 器 店
江 戸 時 代 、 長 崎 街 道 の 宿 場 町 と し て 、
が 軒 を 連 ね る 塩 田 津 の 町 並 み が あ る 。
連居 ね蔵 る造 塩り 田の 津町 の家 家が 並軒 を
和 51 年 と 2 度 に わ た る 塩 田 川 の 氾 濫 区 に 指 定 さ れ て い る 塩 田 津 の 町 並 み 運 の 需 要 が 激 減 。 ま た 昭 和 37 年 、 昭 現 在 、 重 要 伝 統 的 建 造 物 群 保 存 地 本 線 の 敷 設 や 車 社 会 の 到 来 に よ り 船 造 り が 選 ば れ た 。
「日本の食卓の象徴」 とも評される紺地に白いドット柄は肥前吉 田焼の代名詞ともなっている
だ が 、 塩 田 津 の 場 合 は そ れ が 重 厚 な 時 の 繁 栄 ぶ り を 今 に と ど め て い る 。
こ 塩 と 田 に 津 な の っ 町 た 並 。 み の 特 徴 は 「 居� � 蔵� 家� 」 る 、 国 指 定 重 要 文 化 財 の 西 岡 家 住 宅 せ て い る 。 特 に 町 並 み の 中 ほ ど に あ
こ と に な っ た 。 し か し そ の 後 、 長 崎 な い 、 ま た も ら わ な い 家 屋 と し て 蔵
田 〜 嬉 野 間 の 県 内 初 の 電 車 開 通
市 ) 〜 武 雄 間 の 馬 車 軌 道 や 、 塩
治 に 入 っ て 祐 徳 稲 荷 神 社 ( 鹿 島
こ う し て 発 展 し た 塩 田 津 は 明
米 が 、 帰 り の 荷 と な っ た 。
産 地 へ 運 び 、 そ れ ら の 陶 磁 器 や
里 、 波 佐 見 、 吉 田 な ど の 焼 き 物
釉 薬 を 作 り 、 そ れ を 有 田 や 伊 万
げ さ れ た 天 草 石 を 砕 い て 陶 土 や
利 点 と な っ た 。 塩 田 津 で は 荷 揚
ま た 肥 前 の 窯 業 地 に 近 い こ と が
経 て 塩 田 川 か ら 直 接 運 搬 出 来 、
取 し た 陶 石 を 島 原 湾 、 有 明 海 を
草 石 」 で 、 熊 本 の 天 草 地 方 で 採
経済産業省認定の近代化産業遺産になっている 「志田焼きの里博物館」 LION 2017年7月号
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