ライオン誌日本語版2017年7月号
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- ら 約 30 ㌔ 、 佐 賀 空 港 か ら は 約 50 ㌔
長 崎 自 動 車 道 嬉 野 I C が あ り 、 長 崎 空 港 か
主 要 道 は 旧 長 崎 街 道 を た ど る 国 道 34 号 。
世 保 線 ) 、 彼 杵 駅 ( 大 村 線 ) が 最 寄 駅 と な る
の 肥 前 鹿 島 駅 ( 長 崎 本 線 ) 、 武 雄 温 泉 駅 ( 佐
現 在 は 市 内 に 鉄 道 駅 が な く 、 隣 接 す る 市 町
温 泉 駅 」 ( 仮 称 ) の 設 置 が 予 定 さ れ て い る が 、
建 設 中 の 九 州 新 幹 線 長 崎 ル ー ト に 「 嬉 野
【 交 通 ア ク セ ス 】
4 人 ( 2 0 1 7 年 4 月 1 日 現 在 / 推 計 )
面 積 / 1 2 6 ・ 41 平 方 ㌔ 人 口 / 2 万 6 7 9
物 群 保 存 地 区 に 指 定 さ れ て い る 。
塩 田 津 と 呼 ば れ る 地 域 は 国 の 重 要 伝 統 的 建 造
の 動 脈 に 挟 ま れ て 蔵 造 り の 町 家 が 軒 を 連 ね 、
港 都 市 で 、 塩 田 川 と 長 崎 街 道 と い う 水 陸 二 本
塩 田 は 有 明 海 の 干 満 差 を 利 用 し て 発 展 し た 河
吉 田 焼 な ど 、 豊 富 な 観 光 資 源 を 持 つ 。 一 方 の
わ れ る 嬉 野 温 泉 、 4 0 0 年 の 歴 史 を 持 つ 肥 前
地 と し て 知 ら れ 、 ま た 日 本 三 大 美 肌 の 湯 と 言
0 0 年 以 上 前 か ら 栽 培 さ れ て い る 嬉 野 茶 の 産
庁 舎 は 元 の 塩 田 町 役 場 に 置 か れ た 。 嬉 野 は 5
田 町 が 合 併 し て 誕 生 。 新 市 名 は 嬉 野 市 で 、 新
に 、 長 崎 県 境 に あ っ た 嬉 野 町 と 、 隣 接 す る 塩
嬉 野 市 は 佐 賀 県 南 西 部 、 2 0 0 6 年 1 月 1 日
嬉� � 野� � 市
言 わ れ 、 「 日 本 の 食 卓 の 象 徴 」 と し
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の 水 玉 柄 茶 器 は 吉 田 焼 の 代 名 詞 と も
ド ッ ト 柄 の 急 須 や 湯 飲 み が そ れ 。 こ
は 結 構 多 い は ず な の だ 。 紺 地 に 白 い
た り 使 っ た り し た こ と の あ る 人 は 実
名 度 が 低 い 。 た だ 、 吉 田 焼 を 目 に し
田 焼 や 波 佐 見 焼 に 比 べ る と 極 端 に 知
と こ ろ が 同 じ 肥 前 の 焼 き 物 で も 、 有
を 中 心 に 、 4 0 0 年 も の 歴 史 を 持 つ 。
肥 前 吉 田 焼 は 日 常 使 い の 生 活 雑 器
田 焼 デ ザ イ ン コ ン ペ テ ィ シ ョ ン 」 。
待 さ れ て い る 。 そ の 一 つ が 「 肥 前 吉
て お り 、 今 後 、 さ ま ざ ま な 展 開 も 期
ず 。 が 、 既 に 各 方 面 か ら 注 目 を 集 め
嬉 野 茶 寮 が 始 ま っ て ま だ 1 年 足 ら
ョ ン が 実 現 す る こ と に な っ た 。
表 す る 三 大 ブ ラ ン ド の コ ラ ボ レ ー シ
窯 元 に も 加 わ っ て も ら い 、 嬉 野 を 代
温 泉 と 並 ぶ 伝 統 産 業 ・ 肥 前 吉 田 焼 の
手 茶 農 家 が 結 集 。 更 に 嬉 野 茶 、 嬉 野
こ へ 、 副 島 さ ん を リ ー ダ ー と す る 若
え た 新 し い 動 き を 模 索 し て い た 。 そ
そ れ ぞ れ の 立 場 で 嬉 野 の 将 来 を 見 据
家 の 副 島 仁 さ ん 。 同 世 代 の 3 人 は 、
代 当 主 の 北 川 健 太 さ ん 、 そ し て 茶 農
め る 小 原 嘉 元 さ ん と 旅 館 大 村 屋 第 15
の 老 舗 旅 館 ・ 和 多 屋 別 荘 の 代 表 を 務
嬉 野 茶 時 の キ ー マ ン は 、 嬉 野 温 泉
姿 勢 を 伝 え る 貴 重 な 機 会 と な っ た 。
茶 に 対 す る 茶 農 家 の 思 い や 栽 培 へ の
新 茶 を 味 わ っ て も ら い な が ら 、 嬉 野
LION 2017年7月号
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