1911-12
- ページ: 55
- 美しい艶は、仕上げに 鹿角の粉で磨きをかけ ることで生まれる。カ ン付きの壺と手桶は父 の敏史さん、椀と皿は 娘の公美子さんの作品
上塗り用の漆は、ほこりを取り除くために和紙で漉す。 谷岡さんは薄くきめ細やかな吉野紙を二重にして使う
塗 り の 上 に 朱 漆
器 で 、 黒 漆 の 下
と し て 作 っ た 漆
ら が 仏 具 や 什 器
根 来 塗 は 僧 侶
せ た 塗 師 だ 。
の 技 術 を 復 活 さ
え て い た 根 来 塗
ん は 、 長 く 途 絶
き た 谷 岡 敏 史 さ
道 一 筋 に 歩 ん で
年 に わ た り こ の
統 工 芸 士 で 、 65 い 風 を 吹 き 込 ん で い る 。
紀 州 漆 器 の 伝 サ リ ー 作 品 を 手 掛 け て 、 伝 統 に 新 し 良 い 奉 仕 活 動 に つ な が っ て い く 」 と
人 々 で に ぎ わ う 。 根 来 塗 の 他 に 、 蒔 絵 を 施 し た ア ク セ 会 長 は 「 例 会 で 育 ま れ る 連 帯 感 が 、
で 約 5 万 人 も の 塗 り だ け で な く 蒔 絵 の 技 法 も 習 得 。 期 は 会 員 数 1 0 0 人 を 超 え た 。 古 田
連 な り 、 2 日 間 学 院 で 経 済 学 を 修 め た 公 美 子 さ ん は 、 漆 器 関 連 の 会 員 が 多 く 在 籍 し 、 最 盛
端 通 り に 露 店 が 5 代 目 と な る 娘 の 公 美 子 さ ん だ 。 大 が い を 感 じ て い る 。 結 成 当 初 は 紀 州
ま つ り で は 、 川 岡 さ ん を 含 め て 3 人 。 そ の 一 人 は 、 が 提 出 し て く れ る レ ポ ー ト に 、 や り
か れ る 紀 州 漆 器
年 11 月 初 旬 に 開
随 所 に 残 る 。 毎
の 町 の 趣 は 町 の
て い る が 、 漆 器
今 は 郊 外 に 移 っ
製 造 の 拠 点 は
成 さ れ た 。
特 の 職 人 町 が 形
工 房 を 構 え 、 独
の 職 人 が 住 居 兼
下 地 師 、 木 地 師
れ で す は か り 掛 に 耗 を 現 る 研 。 塗 し の け 谷 趣 し 重 在 。 ぎ そ る 、 工 て 岡 が て ね 出 の 、 漆 程 乾 さ あ 下 る 、 し 上 と を は 燥 ん る か 。 紀 て に い 密 80 さ が と ら 使 州 自 黒 う 着 に せ 用 珍 黒 い 漆 然 漆 作 さ も た い 重 漆 込 器 な 、 業 せ 及 高 る さ が む の 模 朱 を る び 野 の れ 現 う 伝 様 漆 何 た 、 檜 は た れ ち 統 が を 度 め 塗 の 、 。 、 に 工 生 重 も に っ 木 5 そ 朱 芸 み ね 繰 研 て 地 年 の 漆 士 だ 、 り い は 。 以 模 が は 谷 さ 炭 返 で 乾 塗 上 様 摩 と 連 携 し て 行 う 。 終 了 後 に 全 校 生 徒 徒 を 対 象 に 薬 剤 師 や 青 少 年 セ ン タ ー 薬 物 乱 用 防 止 教 室 は 中 学 校 6 校 の 生 文 化 祭 や 看 護 学 校 で も 実 施 し て い る 。 若 年 層 の 協 力 を 増 や す た め に 高 校 の 催 。 献 血 は 市 内 の 総 合 ス ー パ ー の 他 、 と 、 中 学 校 で の 薬 物 乱 用 防 止 教 室 開 / 主 な 活 動 は 2 カ 月 に 1 回 の 献 血
ブク ラ
「藤白神社と鈴木屋敷」:熊野古道・紀伊路の 藤白王子跡で、熊野神域の入り口に当たる。藤 白神社の権現堂には熊野本地仏が祭られ、神仏 習合の名残をとどめている。境内の一角には、 鈴木姓のルーツとされる「鈴木屋敷」がある。 鈴木一族は熊野三党の筆頭と言われた豪族で、 ここを拠点に全国に約3300余りの熊野神社を 建立して熊野信仰を広めた。現在、クラウドフ ァンディングや全国の鈴木さんの支援を受けて、 老朽化した鈴木屋敷を復元する計画が進行中。
話 し 、 出 席 率 向 上 を 目 指 し て い る 。
成 / ス ポ ン サ ー : 和 歌 山 ラ イ オ ン ズ
長 / 32 人 ) = 1 9 6 1 年 1 月 21 日 結
海 南 ラ イ オ ン ズ ( 古 田 光 昭 会
ブク ラ
▼ 取 材 協 力 ク ラ ブ
55 LION
2019年11・12月号
- ▲TOP