1911-12
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- の 利 を 背 景 に 、 早 く か ら 全 国 に 販 路 僧 に よ っ て 根 来 塗 の 技 術 が 伝 わ り 、 戸 後 期 編 纂 の 『 紀 伊 続 風 土 記 』
な 森 林 資 源 に 恵 ま れ て い る 。 そ の 地 秀 吉 の 紀 州 攻 め で 四 散 し た 根 来 寺 の 産 す る こ と が 可 能 に な っ た 。 江
れ る 。 温 暖 多 雨 な 紀 伊 半 島 は 、 豊 富 を 作 っ た の が 起 源 と さ れ る 。 更 に は 、 て 庶 民 向 け の 器 と し て 大 量 に 生
説 に は 「 木 国 」 が 転 じ た も の と 言 わ 生 地 に 柿 渋 で 下 地 を 施 す 「 渋 地 椀 」 技 術 も 導 入 。 ま た 分 業 制 に よ っ
和 歌 山 の 旧 国 名 「 紀 伊 国 」 は 、 一 系 の 木 地 師 集 団 が 移 り 住 み 、 檜 の 椀 な ど も 作 ら れ 、 蒔 絵 な ど の 装 飾 ば れ た 紀 州 漆 器 だ 。 室 町 時 代 、 近 江 受 け て 発 展 し 、 椀 の 他 に 膳 や 盆
伝紀 統州 と漆 技器 の
海 南 市 黒 江 で 作 ら れ 「 黒 江 塗 」 と 呼 江 戸 時 代 に は 紀 州 藩 の 保 護 を
を 広 げ た も う 一 つ の 地 場 産 業 が あ る 。 影 響 を 与 え た と 考 え ら れ て い る 。
黒漆の上に朱漆を塗る谷岡敏史さん。上塗 用の刷毛には、昔から漆刷毛に最適とされ る女性の毛髪が使われている
そ の 裏 に は 通 り ご と に 加 飾 、 塗 師 、
に 問 屋 や 商 人 が 泊 ま る 宿 が 並 ん だ 。
に つ な が る 堀 川 が 流 れ て い て 、 両 側
当 時 は 現 在 の 川 端 通 り の 中 央 に 港
州 各 地 へ 行 商 し た 。
き 、 帰 り は 黒 江 の 漆 器 を 仕 入 れ て 九
を 積 ん で 大 坂 へ 向 か い な が ら 売 り 歩
呼 ば れ る 回 船 に 伊 万 里 や 唐 津 の 陶 器
伊 予 商 人 だ 。 伊 予 商 人 は 「 椀 船 」 と
そ こ で 大 き な 役 割 を 果 た し た の が 、
こ と が う か が え る 。
り 」 と あ り 、 広 く 販 路 を 広 げ て い た
し て 至 ら さ る 所 な く 、 其 製 最 佳 好 な
に は 黒 江 の 漆 器 に つ い て 「 今 は� 國� と
塗師の町屋を改修しギャラリーとカフェを併設した黒江ぬりもの館。玄関 前に三角の空き地を設けた鋸歯状の町並みも一部に残る LION 2019年11・12月号 54
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