201907_08
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- 宇 和
UWA
停 車 駅 と な っ て い る 。 4 駅 が あ り 、 卯 之 町 駅 は 特 急 上 宇 和 、 卯 之 町 、 下 宇 和 の J R 四 国 予 讃 線 の 伊 予 石 城 、 町 ま で は 約 1 ・ 5 ㌔ 。 道 ・ 西 予 宇 和 I C か ら 、 卯 之 和 島 北 I C を 結 ぶ 松 山 自 動 車 J C T か ら 同 県 宇 和 島 市 の 宇 愛 媛 県 四 国 中 央 市 の 川 之 江
【 交 通 ア ク セ ス 】
も 西 予 市 宇 和 町
9 年 4 月 30 日 現 在 ) ※ い ず れ
口 / 1 万 6 6 9 2 人 ( 2 0 1
面 積 / 1 3 2 ・ 53 平 方 ㌔ 人
と で も 知 ら れ て い る 。
め 、 宇 和 は 水 が 非 常 に い い こ
て い る 明 間 地 区 の 観 音 水 を 始
ま た 、 名 水 1 0 0 選 に 選 ば れ
え ら れ な い 土 地 と な っ て い る 。
も あ り 、 歴 史 フ ァ ン に は こ た
英 が 隠 れ 住 ん だ と さ れ る 住 居
し た 町 で も あ る 。 更 に 高 野 長
女 医 と な っ た 楠 本 イ ネ が 暮 ら
の 娘 で 二 宮 が 養 育 し 日 本 初 の
弟 ・ 二 宮 敬 作 と 、 シ ー ボ ル ト
ド イ ツ 人 医 師 シ ー ボ ル ト の 門
る 開 明 学 校 が あ る 。 卯 之 町 は
窓 な ど 当 時 の 姿 の ま ま 現 存 す
の 学 校 で 、 白 壁 や ア ー チ 型 の
る 。 伝 建 地 区 に は 西 日 本 最 古
物 群 保 存 地 区 に 選 定 さ れ て い
部 の 卯 之 町 は 重 要 伝 統 的 建 造
か ら 宿 場 町 と し て 栄 え 、 中 心
旧 5 町 の う ち 宇 和 は 江 戸 時 代
瓶 の 5 町 が 新 設 合 併 し て 誕 生 。
村 、 城 川 、 明 浜 と 西 宇 和 郡 三
0 4 年 に 東 宇 和 郡 の 宇 和 、 野
西 予 市 は 愛 媛 県 南 西 部 、 2 0
西� � 予� 市 宇� 和� 町
更 に 二 人 は 、 「 た と え あ っ た と し て た 奇 麗 な 町 並 み と な っ て い る 。 宇 和
し れ な い と 思 っ た 、 と 記 し て い る 。 て い な い た め 、 非 常 に す っ き り と し
並 み は こ こ 以 外 に 残 っ て い な い か も ま た 卯 之 町 は 電 柱 も 電 線 も 表 に 出
町 家 を 思 い 浮 か べ な が ら 、 こ ん な 町 と を 示 し て い る の だ と い う 。
い て い る 。 そ し て 司 馬 は 、 奈 良 市 の 徴 で 、 そ の 家 が 以 前 は 遊 郭 だ っ た こ
ま す か 」 と 、 大 興 奮 で 語 る 場 面 を 描 は 、 こ れ は そ れ ぞ れ 女 性 と 男 性 の 象
だ っ て 奈 良 だ っ て こ ん な 一 角 が あ り た 飾 り 瓦 も あ り 、 地 元 の 方 の 解 説 で
剋 太 が 「 こ こ は 大 変 な 所 で す 。 京 都 ま た 、 ダ イ コ ン と ナ ス を 組 み 合 わ せ
で 司 馬 は 、 同 行 し た 挿 絵 画 家 ・ 須 田 お 客 様 来 い 来 い 」 と い う こ と ら し い 。
第 14 巻 に 卯 之 町 が 出 て く る 。 そ の 中 イ と き て い る 。 ど う や ら 「 商 売 繁 盛 、
司 馬 遼 太 郎 の 『 街 道 を ゆ く 』 で は 、
す る な ど 、 歴 史 の 流 れ を 感 じ さ せ る 。
キ リ ス ト 教 会 な ど の 洋 風 建 築 も 点 在 玄 関 屋 根 に は え び す 様 と 魚 。 で 、 こ
学 校 や 大 正 時 代 に 建 て ら れ た 卯 之 町 例 え ば 、 最 近 ま で 旅 館 だ っ た 家 の
財 が 数 多 く 残 り 、 西 日 本 最 古 の 開 明 紋 、 水 の 字 な ど が 載 っ て い る の だ 。
隠 れ 家 や 二 宮 敬 作 住 居 跡 な ど の 文 化 か れ て い る 所 に 、 野 菜 や 七 福 神 、 家
い 町 並 み が 続 く 。 ま た 、 高 野 長 英 の い る の を 目 に す る 。 通 常 は 鬼 瓦 が 置
う だ つ 、 出 格 子 な ど 、 伝 統 的 な 美 し 根 の 上 に さ ま ざ ま な 飾 り 瓦 が 付 い て
ま で に 建 て ら れ た 町 家 が 残 り 、 白 壁 、 そ ん な 卯 之 町 を 歩 い て い る と 、 屋
卯 之 町 に は 江 戸 中 期 か ら 昭 和 初 期 て い た こ と を ほ う ふ つ さ せ る 。
寺 の 門 前 町 と し て も に ぎ わ っ た 。 扱 う 商 家 の 大 八 車 が 、 町 を 行 き 交 っ
と 宇 共 和 に 島 、 街 四 道 国 の 八 宿 十 場 八 町 箇 と 所 し 霊 て 場 発 ・� 展 明� す 石� �る 始 め 、 宇 和 盆 地 の 米 や 宇 和 ヒ ノ キ を 往 時 は 5 軒 あ っ た と い う 造 り 酒 屋 を
担 っ て い た 。 ま た 中 心 地 の 卯 之 町 は 、 れ 違 え る よ う に し た も の だ そ う で 、
藩 政 期 に は 宇 和 島 藩 の 米 蔵 の 役 割 を 道 よ り 幅 が 広 い 。 こ れ は 大 八 車 が す
宇 和 盆 地 は 古 く か ら の 穀 倉 地 帯 で 、 確 か に 、 卯 之 町 の 通 り は 普 通 の 街
肱� � 川� �宇 上 和 流 町 に は 広 西 が 予 る 市 宇 の 和 中 盆 央 地 や に や あ 西 る 寄 。 り 、 と 分 析 す る 。 と と 、 道 路 が 広 い せ い で は な い か 、
伝宿 え場 る町 卯の 之雰 町囲 の気 家を 並今 に
は 白 壁 が ふ ん だ ん に 使 わ れ て い る こ な い だ ろ う 」 と の 感 想 を 述 べ 、 そ れ も 、 こ こ の よ う に 町 全 体 が 明 る く は
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き の や 魚 、 、 こ え れ び が す コ 様 イ だ 。 け し に か タ も イ 阿� か � 吽� と の 思 コ い
LION 2019年7・8月号
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