ライオン誌日本語版2005年5月号
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ょ け ん し ) 」 と 呼 ん だ よ う だ 。 た 宮 本 も 「 世 間 師 ( し ょ け ん / 19 人 ) が 誕 生 し た の が 最 初 。
と を 、 大 島 で は 「 世 間 師 ( し え る 村 を 歩 き 、 記 録 に と ど め ラ イ オ ン ズ
へ 戻 っ て 暮 ら し た 人 た ち の こ で は な か っ た ろ う 。 三 千 を 超 ポ ン サ ー で 、 旧 久 賀 町 に 大 島
聞 を 広 め 、 年 を と っ て か ら 島 と し た 学 者 に な っ た の も 偶 然 対 岸 の 柳 井 ラ イ オ ン ズ
若 い こ ろ に 島 の 外 へ 出 て 見 が 、 フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 中 心
は 尊 称 ら し い 。
ろ が 、 宮 本 の 言 う 「 世 間 師 」 た に 違 い な い 。
呼 ば れ た く な い 称 号 だ 。 と こ も 、 そ ん な と こ ろ か ら 培 わ れ そ の 町 長 を 務 め て い た の が 、
が 、 「 悪 賢 い 」 と な っ ち ゃ あ 、 性 に 富 む 、 周 防 大 島 の 島 民 性 年 目 を 迎 え た と こ ろ だ っ た 。
世 渡 り 上 手 も ど う か と 思 う た の か も し れ な い 。 進 取 の 気 に 町 制 を 施 行 し て 以 来 、 百 周
世 な れ て 悪 賢 い 人 」 と あ る 。 し に 対 す る ハ ー ド ル が 低 か っ 久 賀 町 は 一 九 〇 四 年 一 月 一 日 七 一 年 に 旧 橘 町 と 旧 東 和 町 を
通 じ て 、 巧 み に 世 渡 り す る 人 。 せ い か 、 旅 や 島 の 外 で の 暮 ら 町 が 合 併 し て 誕 生 し た 。 実 は サ ー と な り 、
( せ け ん し ) 」 と は 、 「 世 情 に 出 稼 ぎ に 行 く 人 が 多 か っ た に 大 島 、 久 賀 、 橘 、 東 和 の 四
ブク ラ
『 広 辞 苑 』 に よ る と 、 「 世 間 師 な っ て い た の だ 。
間 師 」 と い う 言 葉 が 出 て く る 。 島 の 人 た ち の 良 き 相 談 相 手 と 周 防 大 島 の ラ イ オ ン ズ
宮 本 の 同 じ 著 作 の 中 に 「 世 師 た ち は 豊 か な 知 識 を 元 に 、 物 だ っ た は ず だ 。
「 世 間 師 」 の 島
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そ ん な 島 で 育 っ た 宮 本 常 一 ラ イ オ ン ズ ク ラ ブ は 一 九 六 し て い る 。 ( 鈴 )
そ し て 何 か 事 が あ れ ば 、 世 間 し ) 」 と 呼 ぶ に ふ さ わ し い 人
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( 岡 村 博 臣 会 長
四 年 、 大 島 大 橋 で 結 ブク ば ラ れ の た ス 、
ン ト が あ り ま す ( 62 ■ 大 島 ラ イ オ ン ズ ブ
オラ ンイ
吉 村 基 で あ る 。
周 防 大 島 は 二 〇 〇 四 年 十 月
山口県 周防大島町 号 7 久賀歴史民俗資料館 久賀の石風呂
ジペ ー
国 道4 3 大島大橋
庄地潅漑用水洞 大洲鉄然
か ) 。 ら 読 者 プ レ ゼ
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能庄水洞 日本ハワイ 移民資料館
イ ラ ス ト マ ッ プ / 小 川 和 政
嵩山 周防大島 文化交流センター
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The Lion 2005. 5月号
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