ライオン誌日本語版1991年11月号
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- などなど︒
ず︑私たちはそれを実生活でいとも
簡単に忘れ去ってしまったのです︒
肩書ももたず︑自由と平等を保証さ
した︒それこそが私にとって︑世界
号
彼は途中で下を向き︑何度か黙り
込んでしまいました︒私もその後は︑
れていたはずです︒それなのになぜ
青年会議における最大の収穫だった
1
哨
トゥルシはと言えば︑家族親威か
ら再三のお土産の催促を受けました が︑結局は︑恋人へのネックレスと お父様への電気シェーバーしか︑買 うことができませんでした︒それで も︑お土産をせがんでいた甥や姪の 顔が忘れられず︑かつて親友から贈 られた指輪を売ろうかと真剣に考え
ていました︒
彼一人が苦しまなければならないの
と思えるのです︒
働
朝食がのどを通りませんでした︒彼
はきっと一週間︑つらい思いをした ことでしょう︒前述のように参加者 のほとんどが︑豊かで安定した生活
を送っている人たちだったからです︒
だろうと︑世のなかの不条理に対し
最後に
て当てどころのない憤りを感じまし
以上︑私が思ったことを素直に述
匂
㎜
た︒トゥルシから学んだことは︑私
べさせて頂きました︒批判が多すぎ
T
輪
が想像していた以上の貧困が存在す
ると思われましたら︑これも私が次
ること︑そして私たちの享受する豊
回の世界青年会議を望むゆえだと理
たしかにインドなどの発展途上国か らの参加者もいましたが︑彼らは私 たち日本人と同程度に恵まれていた
ようでした︒
かさとその貧困との間には︑埋め尽
解して頂きたいと思います︒参加を
うことでした︒
くしがたいギャップが存在するとい
通して︑国籍によって考え方に相違
があること︑それでも世界平和とい
人の上に人をつくらずと言うよう に︑人は基本的に平等なはずです︒ とくに今回︑世界青年会議のために 集まってきた参加者は︑若いゆえに
ネパールの環境は本当に恵まれて
う恒久的な理念に対する願望はただ
私たちはよく食事がまずいだの︑
買い物に行きたいだのと不平を言っ ていました︒とくに京都でのショッ ピングの後には︑皆で買ったものの
おらず︑帰宅して家族にそれを話し
一つであること︑それから人と人と
たときに︑日本もかつて同じであっ
の出会いの素晴らしさを学ばせて頂
たと聞き︑信じられない思いでした︒
きました︒
日本の発展はよく奇跡だと言われま
一生に何度もあるかないかの貴重
見せ合いをしていました︒豊かな国
の学生のなかには︑これはママ︑こ
れはパパと︑五つほどの︒︒貝い物袋の
すが︑その奇跡が将来ネパールにも
な経験をさせて頂きましたことに︑
起こる保証はありません︒いまここ
で私たちいく人かが思いを熱くして
感謝しています︒とくに私に参加の む
お土産を一々発表して︑拍手を浴び
ている人もいました︒
きっかけを与えてくださった3複合 3
も︑ネパール全体がただちに豊かに
地区の海沼昭さん︑名波倉四郎さん︑
なる可能性は︑あまり望めないでし
野口順雄さんをはじめとする皆さん
議 会 のではありません︒私も外国に旅行 年 すれば︑お土産も買いたくなるでし 青
界 集
別に彼らを一方的に非難している
ょう︒しかし︑彼を通して貧困の存
に特別な感謝と︑世界青年会議を開
在を知り︑私たち比較的に恵まれた
催するに当たって尽力されたすべて
者のなかに︑全体的・即時的には無
の方々に︑心からの感謝の意を表し
ょう︒ただ私も含めて︑トゥルシの
理でも︑個人的に手助けをしようと
て︑報告の結びとさせて頂きます︒
世 ことを忘れていたと思うのです︒思
いやりの重要性を︑討議の席であれ
いう意欲のある者が一人ずつ増えて
どうも︑ありがとうございました︒
ゆくことにより︑いつか世界は平和
︵東京大学経済学部三年・20歳︶
︻特 ほど強く確かめ合ったにもかかわら
に豊かになれると思うようになりま
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