ライオン誌日本語版1991年11月号
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八月下旬︑世界を震憾させたソ連
ぺ
のクーデターは︑三日間で終結した
18
を
が︑世界青年会議の開幕をひかえて
いたライオンズの間には︑衝撃が走
場
の
った︒共産圏諸国から招待する三人
を含め︑二十六力国︑四十五人の参
流 交
加者リストも完成していたが︑直前
になってソ連との連絡が途絶えた︒
﹁それまで電話で話していたが︑あ
際
国
﹀
の事件があってから︑いくら電話し
ても呼び出し音は聞こえるが︑だれ
に
も出てこない︒何か不気味な感じで
した﹂
集
く特
年 斉
舳酬
世界青年会議のプロジェクト・ア
ドバイザーの葬赤星真教︵大阪帝塚
山力・︶は︑こう証言する︒招待を受
けた青年は︑ロシア共和国の黒海東
岸にあるソチに住むドミトリー・
G・ニキフォロフ君︑20歳︒ゴルバ
チョフ大統領が拘禁されたクリミア
半島から︑そんなに遠く離れていな
い︒厳戒体制のなかで︑どんな物語
が進行していたのだろうか︒
結局︑ほかにも四人が辞退して︑
号
用
会議には二十一一力国︑四十人の青年
﹂
が集まった︒最終日の九月一日︑参
旬
加者全員が署名した平和を求める書
㎜
簡が︑デクエヤル国連事務総長に届
四
〜
︑
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