ライオン誌日本語版2017年6月号
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- な ど も あ り 、 下 駄 は 日 常 品 か ら 嗜 好 昭 廣 さ ん と 3 代 目 の 武 史 さ ん が 桐 下 ( 玉 切 ) し た 丸 太 を 約 25 ㌢ の 長 さ に 製
大 き く 変 化 。 道 路 の ア ス フ ァ ル ト 化 地 に 工 房 を 開 い た 。 現 在 は 2 代 目 の 2 年 、 更 に 木 の 特 徴 に 合 わ せ て 切 断
長 期 に 入 る と 、 日 本 人 の 生 活 習 慣 は お 隣 の 結 城 市 で 修 行 を し た 後 、 現 在 れ も 少 な い が 、 そ れ で も 原 木 で 1 〜
一 般 化 し な か っ た が 、 戦 後 の 高 度 成 は 江 戸 時 代 か ら の 桐 下 駄 産 地 で あ る 、 性 が 少 な い の が 特 徴 。 ま た 狂 い や 割 さ を 決 め 裏 側 の か ん な を か け る ( 七
西 洋 化 が 進 ん で も 、 靴 を 履 く 文 化 は 続 け て い る 。 初 代 の 猪 ノ 原 昭 吾 さ ん 桐 は 国 産 材 の 中 で 最 も 軽 く 、 吸 湿 け る 。 次 に 丸 ノ コ で 下 駄 の 歯 形 と 長
と 草 日 履 本 、 古 そ 来 れ の に 履 下� き 駄� 物 だ と 。 言 明 え 治 ば 維 、 新 草� � で 鞋� 年 の 創 業 か ら 66 年 、 今 も 伝 統 を 守 り 採 に 出 掛 け る こ と も あ る 。 定 さ れ て い る 桐 乃 華 工 房 は 1 9 5 1 に は 栃 木 や 福 島 、 秋 田 ま で 原 木 の 伐 で そ れ ぞ れ の 規 格 に 削 り 上 げ 、 糸 ノ
伝現 統代 のに 職生 人き 技る
そ ん な 中 、 茨 城 県 郷 土 工 芸 品 に 指 貫 し て 行 っ て い る 桐 下 駄 工 房 で 、 時 と 言 い 、 乾 燥 し た 桐 材 を 円 盤 か ん な
国 的 に ど ん ど ん 少 な く な っ た 。
品 へ と 変 わ り 、 下 駄 の 製 造 業 者 も 全 駄 を 作 っ て い る 。 桐 乃 華 工 房 は 関 東 な り 、 こ こ で よ う や く 桐 下 駄 の 製 造 十 分 に 乾 燥 さ せ た 桐 材 は 更 に 軽 く
筑 西
CHIKUSEI
桐乃華工房3代目の猪ノ原武史さん。現在、2代目である父・昭廣さんや母の幸子さん、また工房 を手伝うため東京から移住してきた妹さん夫婦などと共に伝統の桐下駄作りに取り組んでいる
で 唯 一 、 原 木 の 製 材 か ら 製 造 ま で 一 に 取 り 掛 か る 。 最 初 の 工 程 は 「 組 取 」
に め 分 穴 て ) 穿� 下 。 け 駄 そ な の の ど 形 後 幾 を 、 つ 決 型 か め に 合 の (� � わ 工 鼻� � 程 廻� せ を ) 、 て 経 仕 角 て 上 を 白 げ 丸
コ を 使 っ て 二 つ に 引 き 放 し 歯 形 を つ
ら 自 然 乾 燥 さ せ る 。
に 積 み 上 げ ( 輪 積 ) 、 雨 風 に 当 て な が
桐 材 1 枚 1 枚 を 井 桁 に 組 ん で 円 環 状
さ せ る 。 こ の 時 、 ア ク を 抜 く た め 、
材 ( 木 取 ) し て か ら も 4 カ 月 ほ ど 乾 燥
下駄の仕上げにはさまざまな道具が使われる。牛の角の形をした ノミは「牛角 (ぎゅうのう) 」 と呼ばれ、下駄作りのための特注品 LION 2017年6月号
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