201811_12
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- に 重 厚 な 印 象 の 建 物 だ 。
軒 今 残 も る 明 。� 治 漆� 以 喰� �前 を に 厚 建 く て 塗 ら り れ 込 た め 商 た 家 全 が 体 77 に 並 行 し て 国 道 が 出 来 て 以 降 、 通 り と し て も 守 ら な け れ ば と 議 論 を 重 ね 、 色 に 塗 り 替 え る よ う 働 き 掛 け た の を の 山 本 陽 一 さ ん に よ れ ば 、 新 町 通 り て い た こ と を 知 り ま し た 。 こ れ を 何 が 中 心 に な っ て 路 面 を 町 並 み に 合 う
吉 野 川 と 並 行 す る 約 1 ㌔ の 通 り に は 、 創 業 か ら 3 0 0 年 続 く 山 本 本 家 酒 造 通 り の 町 並 み は 日 本 で 一 番 と 書 か れ 人 出 は 増 え て い っ た 。 ま た 、 新 町 塾
ま り 、 通 り に は 商 家 が 建 ち 並 ん だ 。 塾 」 の 活 動 だ っ た 。 メ ン バ ー の 一 人 、 良 文 化 財 研 究 所 の 調 査 報 告 に 、 新 町 か ら 出 店 を 集 め 、 回 を 重 ね る ご と に
し た た め に 近 隣 か ら 多 く の 商 人 が 集 に 新 町 通 り の 有 志 で 発 足 し た 「 新 町 重 伝 建 の 法 律 が 出 来 た 直 後 の 国 立 奈 ッ ト 「 か げ ろ う 座 」 を ス タ ー ト 。 近 隣
下 町 の 振 興 策 と し て 年 貢 諸 役 を 免 除 き を 本 格 化 さ せ た の は 、 1 9 9 0 年 す が 、 新 町 塾 で い ろ い ろ 学 ぶ う ち 、 と 、 93 年 に 年 に 一 度 の フ リ ー マ ー ケ
と 二 見 の 間 に 新 町 の 町 割 を 整 備 。 城 外 に も 最 近 の こ と 。 町 並 み 保 存 の 動 か と 一 度 は 諦 め か け た こ と も あ り ま て 町 並 み 保 存 の 機 運 を 盛 り 上 げ よ う
政 は 、 既 に 町 場 が 発 達 し て い た 五 條 に 選 定 さ れ た の は 2 0 1 0 年 で 、 意 「 こ の ま ま 町 並 み が 消 え て し ま う の 新 町 塾 は 通 り の に ぎ わ い を 再 現 し
と 共 に 大 和 五 條 藩 主 と な っ た 松 倉 重 伝 統 的 建 造 物 群 保 存 地 区 ( 重 伝 建 ) え 出 し た 。
町 通 り の 町 並 み だ 。 江 戸 幕 府 の 成 立 五 條 新 町 通 り の 町 並 み が 国 の 重 要 や 町 並 み に そ ぐ わ な い 洋 風 建 築 が 増
そ の 名 残 を と ど め る の が 、 五 條 新
と し て 繁 栄 し た 。
交 通 の 要 衝 で 、 物 資 の 集 散 地 や 宿 場
西 熊 野 街 道 な ど 主 要 な 街 道 が 集 ま る
川 の 水 運 や 、 紀 州 街 道 、 伊 勢 街 道 、
変 え て 紀 伊 水 道 へ 注 ぐ 。 五 條 は 吉 野
ぎ て 和 歌 山 県 に 入 る と 紀 ノ 川 と 名 を
原 か ら 流 れ 出 た 吉 野 川 は 、 五 條 を 過
日 本 有 数 の 多 雨 地 帯 で あ る 大 台 ケ
商地 家域 のの 町力 並で み守 る
を 行 く 人 も 車 も 少 な く な り 、 空 き 地 行 動 を 起 こ し ま し た 」 ( 山 本 さ ん ) N P O 法 人 大 和 社 中 が 町 づ く り の 活 成 長 し 、 20 年 続 い て 終 了 。 現 在 は 屋 な ど が 点 在 し て い る 。 っ た 美 容 院 や 牛 乳 販 売 店 、 う ど ん 修 復 に よ っ て 趣 あ る 風 情 で よ み が え す る 家 が 増 え て い っ た 。 通 り に は 、 こ れ に よ っ て 外 観 を 昔 の 造 り に 修 復 機 に 、 五 條 市 が 保 存 整 備 事 業 に 着 手 。
創業300年の山本本家酒造。裏手にある古い酒蔵は ダイニングバーとして使われている
慶長12 (1607) 年の棟札が残る栗山家。建築年代が 分かる民家としては国内最古で、現在も現役の住宅
か げ ろ う 座 は 5 万 人 が 集 う 催 し に
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