ライオン誌日本語版2017年9月号
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- SCENE
クラ 茨城県・阿見ライオンズブ
取材/鈴木秀晃
1 万 8 5 6 4 人 が 戦 死 し た 。 以 来 、 毎 年 継 続 実 施 し て い る 。 出 席 者 全 員 で 白 い 菊 を 献 花 。 続 恒 久 の 平 和 を 誓 っ た 。
2 万 4 千 人 、 そ の 8 割 に 当 た る 予 科 練 慰 霊 例 会 と 定 め 、 翌 73 年 「 海 ゆ か ば 」 が 奏 で ら れ る 中 、 く な っ た 若 人 の 冥 福 を 祈 り つ つ 、
を 経 て 戦 地 へ 赴 む い た 若 鷲 は 約 し て い こ う と 、 8 月 第 1 例 会 を 開 会 し た 。 国 家 斉 唱 、 黙 祷 の 後 、 の 歌 」 を 斉 唱 し 、 国 の た め に 亡
練 教 育 の 拠 点 と な っ た 。 予 科 練 重 な 遺 産 と 歴 史 を 後 世 に 伝 え 残 の 灯 籠 に 火 を と も す 会 員 献 灯 で 読 。 最 後 に 出 席 者 全 員 で 「 若 鷲
川 県 ・ 横 須 賀 か ら 移 転 し 、 予 科 年 目 の 1 9 7 2 年 、 予 科 練 の 貴 6 時 半 、 阿 見 ラ イ オ ン ズ ブ
練 習 部 、 い わ ゆ る 予 科 練 が 神 奈 開 催 さ れ た 。 同 ク ラ ブ は 結 成 2
更 に 昭 和 14 年 に は 海 軍 飛 行 予 科 長 / 39 人 ) の 予 科 練 慰 霊 例 会 が 阿 見 町 関 係 者 、 ロ ー タ リ ー ク ラ 更 に 両 親 に 宛 て た 予 科 練 生 の 遺
霞 ケ 浦 海 軍 航 空 隊 が 設 置 さ れ た 。 阿 見 ラ イ オ ン ズ
に 東 洋 一 の 航 空 基 地 と 言 わ れ た 武 器 学 校 内 「 予 科 練 の 碑 」 前 で 、 始 め と し た 地 区 役 員 、 ゾ ー ン 内 上 げ 、 高 松 宮 妃 殿 下 が 予 科 練 生
側 を 霞 ケ 浦 に 面 し 、 大 正 時 代 末 練 生 の 名 簿 を 納 め た 陸 上 自 衛 隊 会 に は 川 島 正 行 地 区 ガ バ ナ ー を 長 の 務 め と し て 慰 霊 の 辞 を 読 み
阿 見 町 は 茨 城 県 南 部 、 町 の 北 8 月 3 日 、 戦 陣 に 散 っ た 予 科 43 回 目 と な っ た 今 年 の 慰 霊 例 い て 吉 原 会 長 が 、 歴 代 ク ラ ブ 会
ブク ラ
( 吉 原 良 典 会
ブ 役 員 ら が 出 席 。 夕 闇 迫 ク ラ る 寄 午 贈 後 援 護 班 の 板 橋 奈 美 一 等 陸 曹 が 朗 稿 を 、 陸 上 自 衛 隊 武 器 学 校 広 報
各 ク ラ ブ 三 役 に 、 武 器 学 校 幹 部 、 を 偲 ん で 詠 ま れ た 歌 を 吟 じ た 。
国 の た め 散 華 し た 若 鷲 を 追 悼 し 、 恒 久 の 平 和 を 祈 る 予 科 練 慰 霊 例 会
LION 2017年9月号
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