ライオン誌日本語版1991年11月号
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- 北海道・札幌ポプラカ.︵永山 行
少
カ
ツ
一
会長/98人︶の継続アクティビテ
ィである﹁札幌ポプラライオンズ
クラブ旗争奪少年サッカー大 会 ﹂
が十回目の記念の年となり︑九月 七日︑春野守夫ガバナーらの来賓 を迎えて札幌中島体育センターで
開会式が行われた︒
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このサッカー大会は︑元サッカ
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ーの選手であった会員から﹁nの
目を見ない二軍クラスの選手を対 象に︑小学生の大会はどうだろう か﹂との提案で一九八二年に始ま
った︒第 一 回 の 参 加 チ ー ム は十七︑
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選手三百五十人であったが︑年々
盛んになり︑今年は四十チー ム ︑
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八百人を超えるサッカー少年たち
が︑札幌ポプラカ.旗争奪を め ざ し
てキックオフとなった︒ 試合は 市 内 の 伏 見 ︑ 北 園 ︑ 新光︑
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わ族 終家 剃か 合 の 援 ㎜わ 試 −応
南線の各小学校のグラウンドを会
場に︑八︑十四︑二十一日に行われた
が︑日ごろはベンチで声
ス援・㌘って・て公式
試合に出場のチャンスの
タ
ぱいにボールを追っ て ︑
少ない少年たちが主役と
あって︑グラウンドいっ
はつらつと︑ひたむきに 響
ピ 参
プレーをする選手た ち に ︑
外
家族や先生方︑ライオン
ズの応援も熱のこもった
ものとなった︒
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