ライオン誌日本語版1991年11月号
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- 熊本県の天草は、隠れキリシタンの里といわれ、崎津
港の天主堂は、天草を代表する景観といわれる。天草は、
大小百二十余の烏からなり、天然の良港が多い。崎津は
その一つだが、唄で知られた牛深浴も、各方而への定期
船が発着して、海の路の要となっており、いまなお水産
業の中心地でもある。
牛深が発祥地だとされる唄が『牛深ハイヤ』だ院幽
が、牛深は、土地の歴史からいっても、唄の発祥地とい
うよりは、唄を広めた中軸の地といったほうがいいかも
知れない。
'a 目
ヘハイヤエ l ハイヤ可愛いや可愛いや
l 今朝出た船はェーどこの港にサ!?入るやらェ
牛深はその昔、風待ちをする船の寄港地だったという。
海産物を積んで大阪へ向かう船は、牛深で南風の吹き出
しを待った。その南風を、西日本では広く「ハエ」と呼
んでいる。梅雨どきの南風が黒ハエ、梅雨明けの南風が
臼ハエと呼ばれてもいる。この唄の唄い出しハイヤエー
は、そのハエのことだという 説 が あ る 。 つ ま り は 、 風 を
利用して航行した船乗りたちが、この唄と深くかかわっ
ていた証左がそこにもある、 と い う こ と だ ろ う か 。
『ハイヤ節』は本来、奄美の盆踊り唄に、二上がりの手
を付け、口笛も入った激しいリズムの唄だったという。
鹿児崎長崎の田助も『ハイヤ節』の発祥地といわれた
りしているが、どれも底抜けに明るい。南国のリズムが、
船釆りたちの気風と溶け合い、この唄は酒席で盛んに唄
われ、やがて船乗りたちによって諸国へ運ばれた。
各地に散った『ハイヤ節』は、それぞれの土地に根を
下ろした。『津軽アイヤ節』『塩釜甚句』『庄内ハエヤ節』
『三原ヤッサ』など、ハイヤ系の唄は実に多い。ハイヤ
熊本県牛深八イヤ
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の変貌は、昔の交通の要が、海の路であったことを告げ、
唄の生い立ちの秘密を暗示して、興味つきない。
(青山
Jil f
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