ライオン誌日本語版2017年5月号
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- The Power of Service 〜奉仕の力
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「 こ う し た 大 事 業 を ラ イ オ ン に 何 年 か 遅 れ た で し ょ う 」
ま り を こ う 振 り 返 っ て い る 。 た ら 、 我 が 国 の 義 手 開 発 は 更
事 の オラ ンイ 実 上 態 田 調 昌 査 三 を 郎 担 は 当 、 し 事 た 業 地 の 区 始 幹 「 ラ イ オ ン ズ の 援 助 が な か っ た 山 田 教 授 の 述 懐 。
に 情 熱 を 傾 け て い た 。 委 員 会 国 の 援 助 を 受 け て 研 究 を 進 め
ズ 山 ブク ラ 田 会 憲 員 吾 ) 教 が 授 、 ( 電 徳 動 島 義 ラ 手 イ 開 オ 発 ン こ ろ で 幕 を 閉 じ た 。 そ の 後 、 を 研 究 協 力 者 6 人 に 贈 っ た と
す る こ と を 決 定 。 徳 島 大 で は ン ズ の 支 援 は 、 そ の 電 動 義 手
助 教 授 一 人 を 西 ド イ ツ へ 派 遣 化 の 第 一 歩 と な っ た 。 ラ イ オ
の 義 手 開 発 を 援 助 す る た め に げ ら れ る ほ ど の 性 能 で 、 実 用
会 を 設 置 し 、 徳 島 大 学 医 学 部 か い 紙 巻 き タ バ コ を つ ま み 上
採 択 さ れ た 。 地 区 は 特 別 委 員 3 月 に 完 成 し た 3 号 機 は 柔 ら
と い う 地 区 ア ク テ ィ ビ テ ィ が を 進 め 、 試 作 を 重 ね た 。 68 年
「 身 体 障 害 者 に 社 会 復 帰 を 」 ら れ た 電 動 義 手 を 見 本 に 研 究
紫 明 ラ イ オ ン ズ が 提 案 し た 室 で は 、 西 ド イ ツ か ら 持 ち 帰
ブク ラ
賀 ・ 奈 良 ) 年 次 大 会 で 、 京 都
65 年 の 302 W ‐ 5 地 区 ( 京 都 ・ 滋 ー ト に 踏 み 切 っ た の で す 」
東 京 オ リ ン ピ ッ ク の 翌 年 、 る こ と だ 、 と い う 考 え で ス タ
反 響 を 呼 ん だ 。
懸 命 な 姿 が N H K で 報 じ ら れ 、 さ れ て い る 人 々 に 、 社 会 的 、
練 を す る 吉 森 こ ず え ち ゃ ん の は 、 悲 惨 な 状 態 の ま ま で 放 置
学 部 が 開 発 し た 電 動 義 手 の 訓 し 私 た ち の 志 向 し 得 る と こ ろ
ズ の 支 援 を 受 け て 徳 島 大 学 医 す る こ と は 不 可 能 で す 。 し か
1 9 6 8 年 6 月 、 ラ イ オ ン ズ ク ラ ブ 独 力 で 最 後 ま で 支 援
徳 島 大 学 医 学 部 整 形 外 科 教
国 家 的 立 場 で の 対 策 を 誘 致 す
電 動 義 手 開 発 を 支 え た 援 助
徳島大学医学部整形外科教室が開 発した電動義手3号機を使うサリ ドマイド児の吉森こずえちゃん (当時8歳) 。1950年代末から60 年代初め、鎮静・睡眠薬として出 回ったサリドマイドを服用した妊 婦が障害のある子どもを出産する 例が相次ぎ、大きな薬害問題とな った
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LION 2017年5月号
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