獅子吼 「その誰か」は私
「あの誰か」はライオンズ

「その誰か」は私 「あの誰か」はライオンズ

「新鮮な野菜販売していまーす」
「タマネギ、ニンジン、ダイコン、100円でーす」
毎月第1日曜日、地元商店街で行われる朝市で、私は「さかた男塾」の一員として野菜を販売している。もともとこの団体は2018年に、退職後自宅にこもりがちな男性の生き場所づくりとして立ち上げたのだが、今では中学生から70代まで幅広い層の男女が加わり、朝市での野菜販売や地域の清掃活動、更には便利屋事業を立ち上げ、庭掃除や生前整理、家屋の修繕や庭木剪定(せんてい)などさまざまな事業を行うようになった。発足時は目指す方向性の違いから会員同士の衝突が多く、更にさかた男塾の事業の柱と考えていた懇親と研修がコロナ禍により休止。苦肉の策として始めた野菜の無人販売が徐々に浸透し、今日につながっている。利益を得ると良心が痛むという心優しき男塾の仲間たちの奮闘ぶりには、本当に頭が下がる。

もう一つ、私が取り組んでいるのは「羽黒・芸術の森」という、8000坪余の自然豊かな敷地に美術館、レストラン、散策路などが一体となった施設の運営である。私の祖父、故今井繁三郎は洋画家として庄内地域の美術発展に尽力した人物で、80歳にして自身の作品を収蔵展示するための美術館を自宅敷地内に建てた。祖父亡き後は私の母が館長となり維持してきたが、10年ほど前に体力面の不安などから休館を決意したことにより、孫たちで話し合い、新たな形で再出発することを決めた。その際、地元に残っていた私が代表、妹がギャラリー館長となり、やがて東京から移住してきたいとこが祖父のアトリエを改修してレストランを開業した。現在は鶴岡市を拠点とする美術団体・白甕社(はくおうしゃ)、東北芸術工科大学卒業生らの力を借りながらさまざまな企画展を組んだり、敷地内で骨董(こっとう)市やアートイベントを開催したりと、活動の輪を広げている。懸案だったギャラリーの受付にはボランティアチームが結成され、積雪が解けた後の荒れた庭の手入れには心強いサポーターが集まってくる。祖父が残した作品の魅力、作り上げた場の力、そして作家同士の交流が生み出すエネルギー。人を引き付ける要素に満ちた「羽黒・芸術の森」には多くの可能性があり、ここで得た経験や人脈はかけがえのない財産になっている。

他にも、「酒田方言あそび研究会」の代表として酒田市に残る方言を集めたカルタを作ったり、市内各地のコミュニティーセンターや自治会館で方言出前講座を行ったり、高齢者の住環境整備や医療介護連携などに取り組む「一般社団法人ナカマチラボ」を立ち上げて男性向け介護セミナーやバリアフリー勉強会を企画するなど、本業(インテリア施工・書道画材販売)以外の活動にも精力的に取り組んでいる。

そもそも私が企業経営に興味を持ったのは、高校時代に偶然見た外国のニュース映像だった。それは、グリーンメーラー(敵対的買収者)から地元の企業を守ろうとする市民の抗議活動を報じたもので、地域住民からそれほどまで愛される企業があることに衝撃を受けた。その後大学に進学した際も興味の対象は企業の社会的責任であり、卒論のテーマはメセナ(企業による文化支援)。今は人口10万に満たない地方都市・酒田市で小さな会社を経営しているが、地域社会に貢献する企業であり経営者を目指すことは、学生時代から変わらない私の目標だ。

今年度私は酒田ライオンズクラブの会長に就任するに当たり、どのようなテーマにするか試行錯誤の末「『その誰か』は私 『あの誰か』はライオンズ」という文言に行き着いた。眼前の困難や危機に対して躊躇(ちゅうしょ)せずに動ける自分・動けるクラブでありたいという気持ちを込めている。ライオンズはルールにのっとって活動する組織なので、行動を起こす前にどうしても手順を踏む必要がある。まずは一市民、一ライオンとして、小さなこと・自分が出来ることにいち早く、かつ地道に継続的に取り組む。そして一人では難しいことがあれば、ライオンズの仲間や組織の力を借りて成し遂げる。ちなみに今年度はYCE委員会実行委員長を兼務し初めて青少年交換に関わったが、国際交流を個人の力で成し遂げることは極めて難しい。YCE事業を通じてはるかノルウェーから来日した若者と関わりが持てたことで、年齢に関係なく自分の可能性が広げられることを実感出来た。

自分でもいろいろと手を広げすぎだろうかと思うこともあったが、自転車競技のパラアスリート杉浦佳子選手が2021年に50歳で出場した東京パラリンピックで2冠を達成、最年長記録を樹立した際の「最年少記録は二度と作れないが、最年長記録は作れる」という言葉を聞き、限度を考えることをやめた。今は年を重ねていく中で挑戦を続けていくことがますます楽しみである。

まだまだ続くライオンズ人生、今後直面するさまざまな出来事においても、最初に手を差し伸べる「その誰か」は私でありたいと思っている。
 
(クラブ会長/2016年入会/51歳)

2024.09更新