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能登半島地震被災地と
被災クラブの今
ライオン誌日本語版委員 渕野二三世
#災害支援
4月9~10日、ライオン誌日本語版委員会の藤谷文雄委員長(332複合地区)、団英男編集長(335複合地区)、三枝久夫委員(333複合地区)、上田隆政委員(336複合地区)と私の5人で石川県を訪れ、能登半島地震の被災地取材を行った。地震発生から3カ月を経た被災地の現状に触れ、自身も被災しながら地域の復旧、復興のために尽力するメンバーの生の声を聞くことが出来た。
10日朝7時に金沢市内を出発。最初の訪問先である輪島市へ向かう車窓から、被災地の惨状を直視することになった。がけ崩れや車の転落現場、屋根に張られた大量のブルーシート、断層が分かる道路の白線のズレを目の当たりにして地震のすさまじさに恐怖を覚え、手付かずのままになっている倒壊家屋の多さに驚がくした。
輪島市では、輪島ライオンズクラブの小森紀史会長から話を聞いた。同市では漁業も商業も壊滅的な打撃を受け、建設や土木以外の仕事はなく、商店街の再建も見通せない状況にあるという。家や仕事を失って金沢のみなし仮設に入る人も多く、クラブメンバーの中にも輪島を離れている人がいる。そうした中、輪島ライオンズクラブが地震後初めての例会を開いたのは3月22日。市内に残っているメンバーに声をかけ、会員38人(2人目以降の家族会員を除く)のうち25人が集まって、クラブの今後について話し合った。例会の終了後、朝市通りにあった店舗と自宅を失ったメンバーが小森会長の元に来て、「今日は退会することを伝えるつもりで出席したが、みんなの顔を見たら言い出せなくなった。再建を目指してがんばりたい」と告げたという。
今後の生活や地域復興に対する不安を抱える中、小森会長は「38人の会員を1人も失いたくない」とクラブ存続を第一に考えている。その背中を押しているのが、全国のライオンズクラブから寄せられる支援だ。中でも、宮城県・気仙沼ライオンズクラブの存在が大きな励みになっていると小森会長は話していた。
「気仙沼ライオンズクラブは東日本大震災から3〜4年後には立ち直ったそうです。『13年が経った今、こうして支援が出来ている。我々がどのようにして立ち上がることが出来たか、その経緯をいつでもお話ししに来ます』という宮井和夫会長の言葉に励まされ、他のメンバーにも伝えました」
そんなクラブ再建への強い思いの一方で、「何から手を付けてよいのか分からない」とつぶやく姿に心が痛んだ。もし同じ経験をしたら、自分に何が出来るだろうか?と考えても答えは出ず、自然の猛威に翻弄(ほんろう)される人間の弱さを思い知らされた。最後に小森会長から、「38人のチームワークを第一に考えていく」「この体験から、復興後は恩返しをしたい」との力強い言葉があった。小森会長の携帯電話は取材の間にもしばしば鳴り、各地のライオンズから寄せられる支援への対応に追われていた。
次に訪ねた社会福祉法人輪島市社会福祉協議会では、田中昭二事務局長に現状を聞いた。4月8日時点で、市内49の避難所に身を寄せる人は1397人。家屋の全壊は7474件、大規模半壊1321件、中規模半壊1673件といったデータを聞き、途方に暮れた。最も不足しているのは「水」。輪島市の水道復旧率は約8割で、本管は復旧しているものの、各戸の敷地内に引き込む作業を行う業者が不足しているために、水道が使えないケースが多いそうだ。報道などで指摘される公助の遅れにはままならない事情があることを知り、早く元の生活に戻りたいという心の叫びが聞こえてきた。そんな状況の中で、ライオンズクラブによる炊き出しがとてもありがたいと、感謝の言葉を頂いた。社協事務局の駐車場には岡山ライオンズクラブから寄贈された軽トラックがあり、被災者支援に活躍していた。
輪島市役所へ向かう途中、輪島市ふれあい健康センターで、335-B地区(大阪府・和歌山県)アラート委員会による「キッチンカーキャラバン in 能登」が行われているのに遭遇した。地元の事業者の支援を兼ねて被災者に食事を提供する支援で、さすがライオンズと誇らしく思った。
次に訪れたのは、能登ライオンズクラブの山本明人さんが待つ能登町の斉和コミュニティセンター。ここにはライオンズクラブの活動拠点が設けられている。敷地内にはライオンズの支援による仮設シャワーユニットがあり、井戸水を引いて温かいシャワーが浴びられるようになっていた。LCIFの支援を受けて334-D地区(富山県・石川県・福井県)から提供された軽トラックには、たくさんのトイレキットや生活用品が積まれていて、これから山本さんが必要とする人の元へ届けるとのことだった。自らも被災者である山本さんは、地震の日から20㎏も体重が落ちた体で、休むことなく支援を続けている。その「ライオンズ魂」に感謝の気持ちでいっぱいになった。
その後、穴水町で穴水ライオンズクラブの高木作之会長に話をうかがって災害対応の難しさに触れ、中能登町では被災地域である334-D地区3リジョン3ゾーンの杉本茂ゾーン・チェアパーソンを表敬訪問し、能登を後にした。
一日も早い復興を願いつつ、「能登と共に」を合言葉に、これからも友愛と相互理解の精神の下、息の長い支援活動を続けていきたい。
2024.05更新(337複合地区委員/渕野二三世<大分ライオンズクラブ>)
●取材担当委員のコメント
委員長・332複合地区委員/藤谷文雄(秋田県・大曲ライオンズクラブ)
元日の激震から3カ月、能登半島地震の被災地は桜の季節を迎えていました。地震発生以来、ライオン誌日本語版委員会として私たちに何が出来るか、何をしなければいけないのかと考えてきました。そして、現場を取材して被災したメンバーや復興に関わる人たちから直接話を聞きたいという思いから、今回の訪問となりました。
被災地の様子は報道等を通じて見聞きしていましたが、倒壊した家屋や傾いた建物が至る所にあり、人の姿がほとんどない町を目の当たりにし、改めて被害の深刻さを痛感しました。
今後予期せぬ災害や社会変化に直面する時に備えて、国民の一人ひとりが国や自治体による「公助」ばかりを当てにせず、まずは自分と家族の命を守る「自助」、そして一歩外に出て隣近所と助け合う「共助」の重要性を認識する必要があると強く感じました。
編集長・335複合地区委員/団英男(兵庫県・神戸みなとライオンズクラブ)
私は能登半島地震発災以来、2度目の被災地訪問となりました。前回の2カ月前と比較して、復旧が進んでいる地域とそうでない地域の格差がますます広がったように感じました。今回は被災されたクラブの会長にお会い出来、クラブの窮状についてお話しを聞き、復興にはまだまだ気の遠くなるほどの時間が必要だと感じました。
しかし明るいニュースもあります。輪島ライオンズクラブでは3月22日にメンバーのうち集まれる25人が久しぶりに顔を合わせて今後の話し合いをされたそうです。まずは「最初の一歩」を踏み出すことで、ライオンズクラブの底力を発揮していただきたいと思います。
333複合地区委員/三枝久夫(栃木県・佐野西ライオンズクラブ)
被災された方々へのお見舞いを申し上げます。地震による被害は、生命や財産を奪うだけでなく、心に傷を残すものです。復興には時間がかかりますが、一歩一歩先に進むことが必要です。被災された方々が一日も早く普段の生活に戻れるよう、支援を続けてまいります。
今回の地震では新耐震基準が施行された1981年以前の建物が数多く倒壊しました。これは地震の威力と建築の重要性を改めて示すものです。耐震基準の整備は、地震リスクに対する最も重要な防衛手段の一つです。このような悲劇を未然に防ぐために、耐震性の向上と既存建物の改修が急務です。新耐震基準以前の建物の多くは、屋根が瓦ぶきですが、決して瓦が重いから倒壊したのではないことを認識していただきたいです。事実、同じ瓦ぶきでも、新しい建物は被害が最小限にとどまっています。
被災地の復興においては、地域の歴史や風土を尊重した復興計画が重要です。新たな防災意識と技術を取り入れながら、被災地の景観やコミュニティーの特性を大切にした復興が果たされることを祈ります。
336複合地区委員/上田隆政(広島県・三原ライオンズクラブ)
私は阪神淡路大震災(1995年1月)では神戸市長田地区での炊き出し支援、鳥取県西部地震(2000年10月)では日野町でのがれき類撤去支援を経験し、今回はそれ以来の被災地訪問でした。いずれの被災地も甚大な被害を受けていました。
復興に向けての支援について改めて感じるのは、震災直後と、数週間、数カ月経過した時点とでは、ボランティア支援の活動内容が変化することです。被災者が必要とする支援内容と、ボランティア活動に入る市民を総合的にマッチングし、コーディネートするセクションがとても重要だと感じました。そのためには情報の収集と分析、発信が大事で、それを担う人材の手腕にかかっているように思います。
災害はいつ起こるか分かりません。日頃から関係機関と連携してシミュレーションを重ねておくこと、ライオンズクラブとしてどういった支援が出来るのかを検討しておくことが、いざ災害が起こった時の迅速な支援へとつながります。我々ライオンズクラブにはアラート委員会が設置されています。地区とクラブとの連携を強化し、災害時に十分に力を発揮することで、地域から必要とされる団体にならなければなりません。
簡単なことではありませんが、まずはアラート活動に真剣に取り組む意識を醸成しなければならないと考えます。