取材リポート
社協と連携しボランティア
センターの運営支援
富山県・氷見ライオンズクラブ
#災害支援
日本海に突き出した能登半島の東側の付け根に位置する氷見市。能登半島地震で震度5強の揺れが観測され、多くの建物が損壊し、直後には市内全域で断水が発生するなど、富山県内で最も大きな被害を受けた。市内で特に被害が深刻だったのは、氷見漁港場外市場「ひみ番屋街」や道の駅があり多くの観光客が訪れる北大町地区で、液状化により地面が割れて土砂があふれ、建物の倒壊などの被害も多数発生した。
氷見市社会福祉協議会は被災した市民の生活再建を支援するため、1月5日に氷見市いきいき元気館に災害ボランティアセンターを設置。同協議会と災害連携協定を締結している氷見ライオンズクラブ(中村正一郎会長/52人)は、災害ボランティアの受け入れが始まった9日から、センターの運営スタッフとして活動している。
氷見ライオンズクラブと氷見市社会福祉協議会の間で災害連携協定が結ばれたのは3年前。氷見社協から市内の各団体に対し、災害時の福祉・ボランティア活動における連携の呼びかけがあったのがきっかけだった。呼びかけに応じた氷見ライオンズクラブと氷見青年会議所は、それぞれ社協と災害連携協定を締結。その際開かれた研修会では災害対応に関する講習とディスカッションが行われ、氷見ライオンズクラブからは会長や担当委員長ら数人が参加した。その協定が、能登半島地震で初めて発動することになった。
地震発生直後、氷見ライオンズクラブの中村会長は津波の襲来に備え、勤務先の中村記念病院で入院患者の避難対応などに奔走した。病院では、エレベーターが止まったため動けない患者をかついで3階以上へ避難させ、断水のため透析用に給水を手配。関連グループが運営する高齢者施設では配管が破裂して館内が水浸しになり、その対処にも追われた。地震発生から3日間ほどは、クラブメンバーは各自の事業所の災害対応で精いっぱいの状態だったと中村会長は振り返る。そうした中にあっても、社協との協定締結時に会長だった毛利克彦元会長と共に「ライオンズとして行動を起こさなければ」と話し合っていた。
地震発生から4日後、中村会長は社協に電話して「ライオンズに出来ることがあれば、メンバーを集めて駆け付けます」と伝えた。しかしこの時はまだ社協の態勢が整っておらず、「準備が出来次第連絡する」という返事だった。その連絡が入ったのは8日。「明日から受け入れが始まる災害ボランティアセンターの運営を手伝ってほしい」という依頼があり、中村会長は即座にクラブのLINE連絡網で皆に参加を呼びかけた。翌9日、メンバー6人がセンターに出動。他に氷見青年会議所や連合高岡、県生活協同組合連合会などの団体から人員が集まり、氷見ライオンズクラブはボランティアの受け付けと資材の貸し出しの担当を割り当てられた。クラブはボランティアのためにと、カップラーメンやインスタントみそ汁、お茶などを社会福祉協議会に寄贈したことから、作業を終えたボランティアにお茶などを提供する役目も担うことになった。クラブメンバーは9日の活動開始から2月12日までは毎日、平日は5、6人、週末は10人ほどが活動。それ以後は土日祝日に協力を続けている。
災害ボランティアセンターで活動を始めた当初の中村会長の動きはこうだ。朝は8時半から運営スタッフの全体ミーティングに参加し、9時からボランティアの受け付け、10時から10時半にかけて資材を配ってボランティアを送り出す。その後、いったんセンターを離れて病院の仕事をこなし、ボランティアが帰還する昼前に戻って資材の片付けやお茶出し。13時に再びボランティアを送り出して、その日の任務は終了となる。
センターで活動を続ける傍ら、氷見ライオンズクラブは1月13日に氷見市内の避難所で炊き出しを実施している。その少し前、クラブメンバーでもある林正之市長から中村会長に連絡が入り、ライオンズクラブや他の団体で避難所での炊き出しを行ってもらえないか、と打診があった。避難所では5日から9日にかけて自衛隊がおにぎりを配布したが、その後の食事提供をどうするかが課題になっていたのだ。中村会長はすぐに事態の打開に動く。ライオンズクラブ、青年会議所、ロータリークラブ、観光協会、商工会議所青年部会に、副市長も加わったグループLINEを作成。団体間で日程を調整し、交代で炊き出しを行うことになった。10日には氷見中央ロータリークラブと氷見青年会議所がうどんを提供。13日にはライオンズクラブが大鍋で作った100人分の豚汁と助六寿司を振る舞った。この日は雪が降って冷え込みが厳しく、熱々の豚汁は避難生活を送る人たちに喜ばれた。
避難所はその後、1月23日に閉鎖されたが、連日ボランティアの献身的な姿に触れていた中村会長は、次は彼らのために炊き出しをしたいと考えていた。
一方、氷見ライオンズクラブと同じ334-D地区2リジョン2ゾーン内のクラブからは、被害の大きかった氷見の状況を案じて支援の申し出が寄せられていた。18日、新湊ライオンズクラブの釣富士生会長から中村会長へ「何か手伝えることはないか?」という連絡が入る。センターの活動はクラブメンバーの役割分担で賄えていたことから、中村会長は「ボランティア向けに炊き出しを行ってもらえないか」と提案した。
27日に行われたボランティアセンターでの炊き出しには、新湊ライオンズクラブのメンバー11人の他、小杉ライオンズクラブから7人、となみセントラル ライオンズクラブから3人の応援も駆け付けた。昼食の時間に合わせて豚汁約150食を用意。重労働を終えたばかりのボランティアからは「体が温まる」「午後もがんばろうという気力が湧く」などと感謝の言葉が寄せられた。
1カ月以上にわたってほぼ毎日ボランティアセンターでの活動を続けた中村会長は、その円滑な運営ぶりに感心したと言う。
「社協の段取り、センター内の配置や動線、誘導、指示などは非常に的確です。他の自治体の社協からの応援なども連携がうまくいっていて、過去の災害の経験がよく生かされていると感じます。ボランティアの中には毎日のように作業に従事する人や週末ごとに必ず参加する人もいて、支援してくださる皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです」
ボランティアセンターでは事前に登録したボランティアと、被災者から申し込みがあった支援要請のマッチングを行い、チームを作って現場へと送り出す。寄せられる支援要請の多くが、倒れた塀や灯籠(とうろう)の撤去、家財道具の運び出し、土砂の除去などの力仕事だ。センターが始動して真っ先にやって来たのは、高岡第一高等学校のサッカー部員たちで、氷見に自宅がある部員のためにも協力したいと志願したのだった。翌週には氷見高校の野球部員がやって来た。こうした若者たちの積極的な動きが、大人の気持ちを奮い立たせたと中村会長は話す。
「困難な状況の中で、子どもから大人まで皆が団結して地域の復興に向け行動しています。ボランティアセンターが役割を終えるまで協力を続けていきます」
災害ボランティアセンターでの氷見ライオンズクラブの活動は、2月末時点でなお継続中だ。
2024.03更新(取材/河村智子 写真提供/氷見、新湊、小杉各ライオンズクラブ)