テーマ 能登半島地震から1カ月
被災地からのリポート

能登半島地震から1カ月 被災地からのリポート

2月4日、能登半島地震で甚大な被害を受けた奥能登に取材に入った。北陸地方には「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉が残っているが、当日は快晴。空は真っ青で冬の北陸にしては珍しく気温も上がり、防寒着姿では汗ばむくらいだった。

前日に金沢に入って1泊した私は、翌朝、埼玉県・西入間ライオンズクラブのメンバーと共に、奥能登を目指してレンタカーで出発した。途中までは渋滞もなく順調に走ったが、「のと里山海道」を進むにつれ車のスピードが落ち始めた。渋滞の原因は、目的地を確認する検問場所が設けられているためで、行き先によっては自動車専用道であるのと里山海道から一般道に降ろす措置が講じられていた。検問に当たっていたのは、他県から応援に入っている警察官だ。私たちの車はそのまま先へ進むよう指示されたが、結果的には遠回りをすることになった。検問場所から先は、道路が陥没した箇所の応急処理がされていたり、谷側に道路が崩落してガードレールが宙ぶらりんになっていたりする所が多く見受けられ、片側通行になっていた。

門前公民館で調理した料理を避難所へ運ぶ

金沢市内から約3時間半がかりでようやく、最初の目的地である輪島市門前町に到着。ここでは、門前公民館を拠点にして東京や埼玉のライオンズクラブが支援活動を展開しており、この日の昼食の炊き出し準備と配布を手伝うことになった。公民館の向かいにある門前東小学校は避難所の一つになっていて、校庭には自衛隊の緊急車両が停車していた。その他に、車で5分ほど離れた諸岡公民館にも温かい炊き出しを届けた。12時から配布の予定だったが準備に時間がかかり、列を作っていた人たちに少し待ってもらうことになった。ここでは予想外の人数で料理が足りなくなり、門前町公民館に取りに戻るというハプニングもあった。

諸岡公民館では、避難所の運営リーダーを務める柴田寿美香さんに話を聞くことが出来た。地震発生時、柴田さんは訪ねて来た妹さんと一緒に自宅にいて、大きな揺れを感じた妹さんの「すぐ外に出て!」という叫び声で外に飛び出し、直後に家が崩れ落ちたとのこと。この妹さんは淡路島で阪神淡路大震災を経験されており、危険を察知した瞬時の判断によって命拾いしたと言う。近所では、長い付き合いの知人が不幸にも亡くなられたそうだ。柴田さんは元日以降、諸岡公民館で避難者の世話に奮闘されているが、本人は「私一人だけの力ではここまで出来なかったけど、ライオンズクラブを始め多くの方の手助けがあり何とかがんばっている」と話し、避難所に入っている人だけではなく、いまだに車中泊を続ける人のことも心配しつつ、一日も早い復旧を願っていた。県が発表している避難者の数は毎日少しずつ減っているようだが、避難所に入らずに被災した自宅や車中で寝起きする人の数は発表に入っていないことも考えると、今後も継続的な支援が必要だと感じた。

輪島市門前町での炊き出しで避難者に昼食を提供

輪島市門前町に続いて、私たちは能登半島の東側に位置する能登町にも足を延ばした。能登町までの道路は陥没している場所もあり、至るところで通行止めになっていて、1時間半以上かかってたどり着いた。

能登町役場の庁舎に着くと、その少し前に到着していた330-A地区(東京都)の阿部かな子ガバナーと同地区メンバーに会うことが出来た。330-A地区では地震発生後、富山県・高岡アラートライオンズクラブの協力を得て、二度にわたり支援物資を届けている。この日は阿部ガバナーが支援物資を運んで能登町に入り、役場庁舎に隣接する地域交流センター「コンセールのと」に避難している人たちに配布した。女性ガバナーだけに、特に女性に必要とされる物品を配布して大変喜ばれていた。330-A地区では日々変わる支援物資の需要を的確に把握するために地元の能登ライオンズクラブの山本明人さんから情報を得ており、支援物資は大いに被災者の役に立っているようだ。

330-A地区による能登町での支援物資配布

私は生まれ育った神戸で阪神淡路大震災を経験した。当時はまだライオンズクラブのメンバーではなかったが、青年会議所やアマチュア無線仲間のボランティアに参加した。その後ライオンズメンバーになってからは、大災害が発生した際には現地に赴き、正確な状況とニーズを把握することを信条としてきた。今回の能登半島地震においても、テレビなどの報道で知る状況と、実際に現地の空気を吸うことによって感じる現実には大きな乖離(かいり)があった。報道ではより被害が大きい地域が取り上げられ、輪島市中心部から離れた旧門前町の状況をニュースなどで目にしたことはなかったと思う。どうしても注目度の高い話題が優先されるのだろうが、小規模な避難所や在宅避難者の中には、取り残されているように感じる人も多いだろう。

金沢市に協力して市内13クラブが取り組む救援物資の仕分け作業(写真提供/334-D地区)

金沢から輪島市、能登町まではおよそ120km程度の距離ではあるが、金沢の都市部と奥能登の被災地との落差の大きさにがく然とした。その金沢では、市内にある13のライオンズクラブが市の協力要請を受け、救援物資の仕分け作業に参加協力している。市では災害備蓄倉庫に市民や企業、団体などからの救援物資を受け入れ、仕分けをした後に物資拠点となっている石川県産業展示館に運んでいる。13クラブによる活動は1月6〜10日、14〜15日、26〜29日に行われ、市内13クラブのメンバーは市職員や青年会議所のメンバーと共に仕分け作業に従事した。

今後は全国各地から多くのボランティアが被災地に入り、ライオンズクラブの支援も多方面で展開されることだろう。ライオン誌日本語版委員会は一日も早い復旧・復興を願いつつ、ライオンズによる支援の動きをメンバーの皆さんにお届けしていきたい。

2024.02更新(取材/ライオン誌日本語版編集長・団英男<兵庫県・神戸みなとライオンズクラブ>)

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