取材リポート
屋台運行で花笠踊り
発祥の地の伝統を継承
山形県・尾花沢ライオンズクラブ
#人道支援
8月27日、28日の両日にわたり「おばなざわ花笠まつり」が開催された。新型コロナウイルス感染症の影響により3年の中断を余儀なくされていたが、久しぶりの開催に尾花沢の町は活気付いた。
祭りは大きく2部構成になっている。27日に行われるのは、市中心部に鎮座する諏訪神社の例大祭。御輿や山車、秋の豊作を祈念する豊年踊りの行列が練り歩く。28日には花笠踊り大パレードが市内の目抜き通りで行われ、市内外からの参加団体約1700人が躍動感あふれる踊りを披露した。その大パレードの先導役を務めるのは、尾花沢ライオンズクラブ(加藤克彦会長/45人)の囃子(はやし)屋台だ。
山形県を代表する民謡の一つである花笠音頭と花笠踊りは、尾花沢が発祥地だ。1919(大正8)年に灌漑(かんがい)用水確保のために市内にある徳良湖の築堤工事が行われ、その際にうたわれた「土搗き唄(どつきうた)」が花笠音頭の起源だと言われる。「土搗き」とは、地面を突いて固める作業のこと。土搗きのリズムの作業歌に合わせて、笠を回して即興で踊ったのが花笠踊りの原型で、昭和に入ってにぎやかな伴奏の入った民謡へと変化したと言う。それが県内全域に広がり、山形を代表する芸能文化として知られるようになった。
もともと尾花沢ライオンズクラブは、踊り手として花笠踊り大パレードに参加する数ある団体の一つだった。花笠まつりとの関わりが深まったのは1995(平成7)年のことだ。祭り囃子の伝統を守ろうと、トラックの荷台に囃子屋台を乗せた「御所山号」を尾花沢市に寄贈。すると市から、祭りの2日間、囃子屋台を使って市民に生の演奏を披露してほしいと要望があり、豊年踊りや花笠踊りの先導役を担うようになった。
初日の例大祭には、ライオンズのメンバーは朝7時に集合し、御所山号と共に午前9時から夕方5時まで市内全域を練り歩く。市の無形文化財に指定されている祭り囃子は、最上川の舟運を通して伝わったとされる祇園囃子の流れをくむ。古くからこの地に伝わる音色を再現する囃子方の腕の見せどころだ。暑い屋外を長時間歩くため、相当ハードな一日となる。
一方、2日目の花笠踊り大パレードは午後3時に開始。ライオンズの囃子屋台は花笠踊りの団体を率いて先頭を進む。先導役は1時間ほどでお役御免となるが、パレードは伝統踊りと行進踊りを交互に披露しながら夜8時まで続く。伝統踊りはその場に留まって踊り、行進踊りで少しずつ前進するので、パレードの隊列はゆっくりと進む。その中でひときわダイナミックで印象的なのが、勢いよく笠を回す「笠廻し」。笠の振り方にはそれぞれ意味があり、大きく頭の上で回すのは「日差しや雨を除ける動作」、両肩に担ぐのは「土を運ぶモッコを担ぐ動作」など、作業の動きが取り入れられている。
花笠踊りは尾花沢で生まれた後、県内の他の地域へ波及していくうちにさまざまに形を変えていった。笠を回す、回さないといった違いの他、新たな踊りを創作する団体もあり、いろいろな踊り方がある。尾花沢に伝わる踊りも地区ごとに細分化していて、最も原型を残していると言われる安久戸(あくと)流を始め、上町流、寺内流、原田流、名木沢流の5流派の伝統踊りがあり、パレードではそれぞれに趣の異なる踊りを見ることが出来る。
開始直後の時間帯は保育園や幼稚園など子どもの団体が多く、ほほ笑ましい踊りが続き、次第に見応えのある熟練の踊りを舞うグループが増えてくる。沿道には県内外から多くの人が詰めかけ、目の前を通り過ぎる踊り手らの「やっしょー、まかしょ」の声に合わせて手拍子を送っていた。
ライオンズの屋台は囃子方が乗って演奏出来るように舞台状になっており、今回はメンバーが軽快に太鼓の音を響かせていたが、時にはゲストを迎えることもある。尾花沢出身で、「なでしこジャパン」の監督として2011年FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会でチームを初優勝に導いた佐々木則夫さんが乗り込んだ時には、沿道からの大歓声で盛り上がった。
以前は屋台の上からメンバーが餅をまくのが恒例だった。五穀豊穣を祝い、祈願する餅まきだが、人が群がって危険だという理由で、最近はメンバーが手渡しで配っている。
「ライオンズクラブの餅の配布は市民に好評で、多くの人が期待してくれています。今回は4年ぶりということもあり、特に楽しみにしていた方も多かったのではないでしょうか。発祥の地の伝統を守るためにも、この花笠まつりのサポートを継続していこうと考えています」(加藤会長)
東北地方の短い夏を彩った各地の夏祭りはこの尾花沢の花笠まつりで終幕となり、季節は秋を迎える。祭りの喧噪(けんそう)から一夜明けて、ライオンズのメンバーは朝5時半に集合。全員参加で会場となった通りの清掃作業を実施し、今年の花笠まつりの支援活動を終えた。
2023.10更新(取材・動画/砂山幹博 写真/宮坂恵津子)