獅子吼
世界遺産登録へ向けて
御金荷の道ウォーク
中川康夫(新潟県・佐渡LC)
9月23日、気温28℃と暑さが和らいだ秋晴れの下、佐渡ライオンズクラブのメンバー有志11人が、佐渡を世界遺産にする会が主催する「御金荷(おかねに)の道ウォーク」に参加した。これは、江戸時代に佐渡金銀山で採れた金や銀を港まで運んだ道を歩くことを通じて、世界文化遺産登録に向けて地元の士気を高めていこうというものだ。
当日の朝、集合場所で受け付けの方に段取りを尋ねると、「ライオンズの方はもう来ていますよ。男女別に部屋が分かれていますから奥で着替えてください」と服を渡された。着替え?と不思議に思って控室をのぞくと、既にメンバーの何人かが時代劇に出てくるような人足姿になっているではないか。「ええ~? 聞いてないよ」と渡辺晃三会長に問うと、「私が申しこんでおきました。どうせやるならこの方が面白いでしょ」と、軽い調子で流されてしまった。優しくてウィットに富んだ会長らしい。「本物みたいだ、似合っている」、「いや、お前の方がもっともらしいぞ」。持ち上げたり下げたりして、互いの姿に笑い合った。
午前9時、佐渡奉行所の門前で警護役が御奉行に請(うけ)証文を手渡した後、「いざ出発!」の号令がかかった。総勢102人、背中に旗指物をたなびかせた先導役の2人、続いて千両箱を左右にからげた栗毛馬、警護役の2人、千両箱を背負った運搬役が2列になって、真野の本陣へ向けて歩き出した。警護役は紋付き袴(はかま)、その他の人は麻の手甲(てこう)に五分の半纏(はんてん)、ひざ上までの股引(ももひき)に脚絆(きゃはん)といったオーソドックスな人足姿だ。当クラブのメンバーも皆人足のいでたちで、衣装をまとってしまえば誰もがすっかりなりきっていた。道中は、「がんばってー」と行列に向かって沿道から手を振って応援する人、何の曲だろうか、横笛を奏でて雰囲気を醸し出す人など、大勢の人に歓迎された。これまで以上に、世界遺産登録へ向けて市民の関心が高まっていると強く感じた。
御番所橋を過ぎ、山道を登った先の中山峠の茶屋跡で、最初の水分補給をした。この奥の木立の丘に、長方形の白い石板がいくつも埋めてある。キリシタン塚だ。島原の乱で神経をとがらせた幕府の命令で、この佐渡でもキリシタン狩りが行われ、信者と判明した人は即刻首をはねられたそうだ。ここが処刑場だったのだろうと聞かされた。キリシタン塚を見るのは初めてのことで、時代の潮流に翻弄(ほんろう)された人たちに哀れを感じずにはおれなかった。私は目をつむり静かに手を合わせた。
午後4時、商工会女性部による元気いっぱいのはばたき太鼓に迎えられ、最終地点となる真野の本陣に到着。歩行距離15kmと長丁場ではあったが脱落者はなく、全員でゴールした。かつて本陣を務めていた山本家には小説家の司馬遼󠄁太郎も立ち寄ったことがあり、幕末の蘭方医を描いた歴史小説『胡蝶の夢』が誕生するきっかけとなった。主人公の一人で日本初の『和訳独逸辞典』を出版した司馬凌海は、山本家の分家(脇本陣)の生まれになる。
さて、いよいよ国連教育科学文化機関(ユネスコ)より令和6年の世界文化遺産登録に認定されるかどうかの判断が下される。佐渡を世界遺産にする会の地道な活動は四半世紀に及ぶそうで、その努力が実を結ぶ時がすぐそこまで迫っているのだと期待がふくらみ、今度こそ実現してほしいと強く願う。今一度、佐渡市、新潟県、国の力を結集してもらいたい。佐渡ライオンズクラブでは世界遺産登録に向けて、一昨年には佐渡奉行所周辺のカーブミラー清掃、昨年は鶴子銀山の鉱石をふもとの沢根港まで運び出した古道の整備に汗を流してきた。これからも佐渡の宝である文化財に関心を持ち続け、クラブとしても個人としても出来ることは積極的に協力していきたい。
2023.10更新(理事/13年入会/67歳)
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