取材リポート 郷土の原風景に身を置いて
今年も元気に田植え体験

郷土の原風景に身を置いて今年も元気に田植え体験

その名が示す通り、札幌市清田区にはかつて美しく清らかな水田が広がっていた。水田が姿を消して久しいが、往時の姿を思い出させる場所がある。市立清田小学校の校庭の一角、札幌清田ライオンズクラブ(北川洋一会長/74人)が2005年4月にクラブ結成20周年記念事業として造成し、寄贈した「ゆめ田んぼ」。現在、区内にある唯一の水田だ。

ゆめ田んぼは小学5年生の体験学習に活用され、毎年5月下旬に田植え、9月下旬に稲刈り、10月初旬に脱穀・精米が行われる。水田の管理はライオンズが担当し、体験学習では準備や子どもたちの指導に当たる。今年の田植えは、5月25日の3、4時間目に5年生の2クラスを対象に行われた。農業経験がある会員から苗の持ち方や植え方、田んぼの中での足の運び方の指導を受けた子どもたちは、苗を手にして裸足で水田に入っていく。方々で「冷たい」「ぬるぬるしてる」という声が上がり、ゆめ田んぼは活気に沸いた。

子どもたちが田植えを行ったこの一角は偶然にも、明治初頭に清田区で最初に稲作が試みられた場所でもある。1871(明治4)年、当時は「あしりべつ」と呼ばれたこの地に最初に入植した長岡重治は開墾に力を注ぎ、77(明治10)年に厚別(あしりべつ*)川沿いの日当たりの良い場所に水田を作った。これが、清田区の稲作の始まりだ。当初の収穫量はわずかだったが、その後用水路が整備され、寒さに強い品種の改良に努めるなど労苦を重ねた末、一面の原野だった厚別川流域は水田地帯へと姿を変えた。

昭和40年半ばまでは清田の風景といえば一面に広がる水田だったが、1972(昭和47)年の札幌オリンピックを境に急速に宅地化が進んで、あっという間に消えていった。その頃に地元を離れて大学生活を送っていたというメンバーは、「帰省する度に水田が消えて景色が変わっていった」と口をそろえる。

子どもたちが苗を植えやすいよう、水田にガイドとなる縦横の線を刻み込む

札幌清田ライオンズクラブが結成20周年を迎えて、記念事業をどうするかという話になった時、ちょうど現在のゆめ田んぼがある場所に建っていた区の資料館が移転した。更地となったその土地を見て、記念事業の実行委員長である嶋川徳志さんは「水田を復活させよう」と提案した。嶋川さん自身は農業従事者ではなかったが、水田が消えた故郷の風景にいたたまれない思いがあったのだろう。

当時のクラブには農業関係者が15人ほどいたので、水田の造成と、その後の管理・運営のめどもついた。札幌市と教育委員会の協力も取り付け、清田小学校の児童を対象とした昔ながらの稲作の体験事業が実現することになった。水田の名前は、児童へのアンケートにより「ゆめ田んぼ・あしりべつ」に決定。「ゆめ田んぼ」の愛称で親しまれている。

80坪の水田では毎年、もち米とうるち米を半面ずつ育てる。ライオンズがもち米の「白鳥米」を担当、児童はうるち米で、今年は北海道のブランド米「ななつぼし」を植えた。うまく育った年でそれぞれ80Kgずつ、平均で計140~150Kgの米が収穫出来る。小学校が希望する量を納めて残った米は、クラブが清田区内の障がい者施設やこども食堂へ提供。収穫量が多い時にはクラブでも試食するが、味の良さはメンバー間でも評判だ。

小学校では家庭科の授業で、ゆめ田んぼで収穫した米を炊いて食べている。数年前までは授業とは別に餅つき会が開かれ、ライオンズも招かれて、子どもたちと一緒にぼた餅やきな粉餅にして食べていたが、諸事情により現在は行われていない。皆で収穫の喜びを分かち合う機会がなくなったのは残念だが、学校のカリキュラムに組み込まれ、家庭科の授業で「食育」の目的も果たされているので、事業の成果としては十分だとクラブでは捉えている。

ゆめ田んぼの維持管理は、全てクラブが行う。毎年春、田植え前に田んぼの土を起こすことから作業は始まる。あまり深く掘り起こすと、子どもたちの足が抜けなくなる可能性があるので、通常よりも浅めにする。土を柔らかくするために水をためて肥料をまき、10日ほど寝かせて、ようやく田植えが出来る状態になる。

田植え当日には、柔らかくなった土にガイドとなる縦横の線を刻み込む。線が交わった部分に苗を植えていくので、見やすいように水を抜いて水位を低めに調整。それでも、不慣れな子どもたちが植えた苗は斜めに曲がっていたり、浅めに植えられていたりするものがあるので、ライオンズ・メンバーらがそれを一つずつ植え直していく。

田植えが終わると、苗が水没しない程度に水を入れて、その状態を維持。好天が続くとすぐに水田が乾いて干からびてしまうので、油断は禁物だ。というのも、このゆめ田んぼは、通常の水田のように用水路から水を引いているわけではないので、放っておくと水が地中に染み込んでなくなってしまうのだ。そのため、適宜水道水を入れなければならず、お盆過ぎまでは、3日に1回は水位をチェックする日々が続く。水の管理以外にも、農業関係のメンバーが中心となって収穫まで稲の世話は続く。

「先輩メンバーから大切に受け継いだゆめ田んぼ事業には、時間と労力のみならず多くの資金や資材も投入しています。発足時から地元・清田に奉仕することに重きを置いてきたクラブにとって、象徴的な事業です」(北川会長)

春の田植えの後、稲刈りまでの間に児童が作業をすることはないが、校庭で遊んでいる時や登下校の折に、稲の成長を間近で観察することが出来る。稲穂がこうべを垂れてくると、いよいよ稲刈りだ。9月20日過ぎの天気が良い日を見計って子どもたちと共に稲を刈り取り、2週間ほど天日干しにした後、脱穀と籾(もみ)すりを行って、ようやく米となる。

田んぼに入る子どもたちを見守っていたメンバーの一人は、「泥に足を取られながら、慣れない作業に歓声とも悲鳴ともつかない声を上げる子どもたちを見ると、この事業をやっていて良かったと思う」と話していた。クラブでは今後もこの事業を継続し、子どもたちに郷土の歴史と食の大切さを身をもって感じてもらいたいと考えている。

2023.07更新(取材・動画/砂山幹博 写真/田中勝明)

*厚別川=河川法上の正式名は「あつべつがわ」だが、上流の札幌市清田区では昔から「あしりべつがわ」と呼ばれており、清田区は「清田ふるさと遺産」の一つに「あしりべつ川」を選定している