取材リポート 鹿児島観光の思い出は
きれいな西郷銅像と一緒に

鹿児島観光の思い出はきれいな西郷銅像と一緒に

8月最初の日曜日、南国薩摩の晴れわたった青空の下、照り付ける日差しは朝から強烈だ。午前7時50分、鹿児島市中央公民館前にライオンズの旗が立ち、野球のユニフォームに身を包んだ少年たちが集合した。この日行われるのは、鹿児島第一ライオンズクラブ(上山秀寿会長/29人)による34回目の「西郷隆盛銅像足場組み清掃」。新型コロナウイルスの感染拡大による中断を経て、3年ぶりの実施となった。

鹿児島市内には、幕末から明治にかけて活躍した島津斉彬(なりあきら)や大久保利通、小松帯刀(たてわき)などの多くの銅像がある。そうそうたる顔ぶれの郷土の偉人たちの中でも、ひときわ人々の敬愛を集め、慕われ、薩摩の象徴的存在となっているのが西郷隆盛だ。

清掃参加者が集まった広場の道路側には「西郷銅像撮影ひろば」の看板があり、記念撮影スポットになっている。道路を挟んで小高い場所に立つ銅像は、前日のうちに組み上げられた足場にすっぽりと覆われていた。毎年8月は鹿児島市の「観光月間」で、クラブはそれに合わせて銅像とその周辺の清掃を行っている。

西郷銅像が立っているのは鹿児島市中心部に位置する城山のふもとで、美術館や博物館、図書館などの施設が集まる文化ゾーンだ。城山は、明治政府に反旗を翻した西南戦争の最後の激戦地で、中腹には西郷が最後の5日間を過ごしたと伝わる洞窟があり、そこから東へ下った場所には、政府軍の総攻撃で最期を迎えた終焉(しゅうえん)の地がある。1877(明治10)年9月24日、西郷は51歳でその生涯を終えた。

「上野の西郷さん」として親しまれる東京の上野公園の像は、その死から12年後に恩赦で名誉回復となったのをきっかけに建設計画が持ち上がり、1898年に完成した。高村光雲の手による像は、愛犬ツンを連れてウサギ狩りに出かける普段着姿。一方、鹿児島市の西郷銅像は、威風堂々とした陸軍大将の正装姿で直立している。没後50年を記念して建てられたもので、鹿児島出身で東京・渋谷の忠犬ハチ公像を手がけた彫刻家・安藤照が、8年をかけて制作した。

肖像画は数多く残っている西郷だが、写真は一枚もない。依頼を受けた安藤は国内だけでなく欧州にまで足を運んで銅像について研究。遺品の軍服から身体的特徴を推し量るなどして西郷の姿を造形した。幕末から明治維新にかけて日本に滞在したイギリスの外交官アーネスト・サトウは西郷について、「黒ダイヤのように光る大きな目玉をしているが、しゃべる時の微笑には何とも言い知れぬ親しみがあった」と書き記している。完成した像は高さ5.76m。高さ7mの築山に配置された土台の上に立ち、大きな目でまっすぐに前を見つめている。

この日、鹿児島第一ライオンズクラブの清掃活動に参加したのは、九州硬式少年野球協会九州南部地区連盟に所属する五つの少年野球チームの選手と保護者約150人。開会式に続いて全員で準備体操をして体をほぐすと、清掃作業に取りかかった。

野球少年たちは銅像が立つ築山の草むしりや、周辺の歩道のゴミ拾いを担当。ライオンズ・メンバーは足場に上がって像の清掃を行う。築山と土台を含めると、像の頭部は地上約14mの高さ。足場の最上階までホースを伸ばして像の頭から水をかけ、太い眉や大きな目、厚みのある唇をきれいに洗い流した。

第1回目の足場組み清掃は、クラブが結成された翌年の1981年1月に行われた。鹿児島第一ライオンズクラブは市内で7番目に出来たクラブ。結成当初から在籍する宮内信重幹事によれば、他のクラブはそれぞれに場所を決めて清掃を行っていたが、西郷銅像はどこも手を付けていなかった。そこで自分たちが、この郷土の偉大な先人が残した足跡を守ろうと清掃活動を開始。少年野球チームの子どもたちにも参加してもらって活動を続けてきた。

クラブ・メンバーは年に一度の足場組み清掃だけでなく、毎月第4土曜日に銅像周辺の清掃を行っている。こちらはコロナ禍でクラブ例会を中止した時期にも休むことなく続けてきた。また過去には、像のすぐ下に置かれた東郷平八郎の筆による「西郷隆盛像」の銘板を複製して人目に付きやすい場所に設置したり、築山の下にある池にコイを寄贈したり、重要な観光資源でもある西郷銅像周辺の環境美化に貢献している。

放水を行う消防車が停車した歩道では、メンバーが歩行者の安全に気を配る

作業を開始して40分ほど経った頃、像の前に消防車が到着した。この清掃活動では、鹿児島消防局の協力による消防車の放水で最後の仕上げをするのが恒例。はしご車を使って高所から放水することもあるが、今回はポンプ車が出動して消防隊員が像の足元から放水を行った。

西郷銅像の清掃と放水の模様は地元放送局や新聞社が取材し、作業後は上山会長を囲んでインタビューも行われた。西郷像の清掃は鹿児島の夏の風物詩の一つになっていると話すのは、重信秀峰第1副会長だ。
「毎年夏になるとテレビのニュースで西郷像に放水している映像が流れます。それを見ていたので、この活動はライオンズクラブに入会する前からよく知っていました」

鹿児島市は、8月の観光月間に観光地の清掃や受け入れ態勢の向上を図ろうと市民に呼びかけている。鹿児島市内のライオンズクラブはこれに応えて、それぞれに清掃活動を実施。この日だけで市内10クラブが各所で清掃活動を行っていた。今年度337-D地区(鹿児島県・沖縄県)の代表を務める川田代泰和地区ガバナー(鹿児島第一ライオンズクラブ)は、朝から各クラブの清掃場所を駆け回ってメンバーを激励。鹿児島第一ライオンズクラブの清掃場所では、消防による放水の様子を見守りながら「地域のために先輩たちが続けてきた活動をしっかり受け継いでいきたい」と話していた。

「西郷銅像は鹿児島市のシンボル的な存在。たくさんの皆さんにきれいになった西郷さんと一緒に写真を撮り、鹿児島の思い出を作ってもらいたいです」
作業を終えてこう語ったのは、足場に上がっての清掃作業やメディア対応に大忙しだった上山会長。その額には大粒の汗が光っていた。

2022.09更新(取材・動画/河村智子 写真/宮坂恵津子)