投稿リポート ハンセン病回復者と
交流30年記念碑の建立

ハンセン病回復者と交流30年記念碑の建立

ハンセン病は感染力の弱い病気であるにもかかわらず恐ろしい伝染病として忌み嫌われ、患者たちは大変な差別を受けてきた歴史がある。

「病気に対する正しい理解をしてほしい」
「偏見差別があり故郷には帰れない」

これは1990年に小浜市社会福祉協議会の職員が岡山県瀬戸内市にある国立療養所邑久光明園を初めて訪れた時に聞いた元患者福井県人会長T氏の言葉である。当時ハンセン病元患者は、身内に迷惑をかけないようにと実名や出身地を伏せていることが多かった。そんな中、この出会いでT氏は小浜市出身であることを職員に明かしてくれたという。これをきっかけに小浜市は中高生や市民らを巻き込み、療養所への福祉訪問や回復者の里帰り運動、元患者T氏の半生を描いた市民劇の上演など、ハンセン病への正しい理解を訴えてきた。

この交流が昨秋30周年を迎えたことを受け、人権問題に対する理解啓発を更に進める機会として記念事業が立ち上がった。この事業は、ハンセン病にまつわる歴史と学びを後世に伝えることを目的に、これまでも交流に参加してきた県立若狭東高校を「人権問題の学び舎」とし、未来を担う子どもたちへの啓発に取り組むもの。メインとなったのは2015年に高校生とハンセン病回復者が植樹した「人権桜」の前に記念碑を建てる事業だ。小浜ライオンズクラブ(上田哲也会長/43人)は、青少年健全育成奉仕事業と位置づけ、この取り組みを支援することを決定した。

今年2月に組織された実行委員会にクラブ会長も参画し、クラブから本事業へ寄付。記念碑建立のための基礎工事等は会員が奉仕活動で行った。9月28日に行われた「人権尊重の碑」の完成を祝う記念式典では、若狭東高校の吹奏楽部の演奏が行われた。石碑に刻まれた「心をつなぐ人権桜」の揮ごうは書道部が担当し、放送部が記録、そして生徒会執行部などが参加するなど、全校挙げての取り組みとなった。コロナ禍であるためオンラインでの参加となった岡山県邑久光明園園長、県人会のメンバーや自治会長も長年の交流を祝った。

この「心をつなぐ人権桜」の記念碑は、次代を担う若人にとって人権の学びのシンボルとなり、ハンセン病患者を長い間苦しめてきた偏見差別の歴史を風化させないための誓いの碑である。また全世界で今なおさまざまな差別に苦しんでいる人々への平等と平和への願いの「知の拠点」となることを我々も祈っている。

「人権桜」について詳しくはこちらをご覧いただければ幸いだ。

2021.12更新(幹事/豊永真誠)