歴史 誰もが輝く社会へ
SOとのパートナーシップ

誰もが輝く社会へ SOとのパートナーシップ
スペシャルオリンピックス冬季世界大会・長野で実施されたオープニングアイズ・プログラム→『ライオン誌』2005年5月号

スペシャルオリンピックス(SO)は、知的障害のある人たちに日常的なスポーツトレーニングの機会と、その成果の発表の場である競技会を提供する国際スポーツ組織だ。SOでは選手たちを「アスリート」と呼ぶ。SOの各大会会場ではスポーツ競技だけでなく「ヘルシー・アスリート・プログラム(HAP)」という、ともすれば見落とされがちなアスリートの健康チェックが実施されている。HAPには身体の柔軟性やバランス、視力、口腔、聴力、足のケア、栄養・生活習慣の六つの部門がある。ライオンズクラブ国際財団(LCIF)は2001年にSOとパートナーシップを締結し、視力部門である「オープニングアイズ・プログラム」に交付金を拠出。またライオンズ・メンバーの眼科医らがボランティアで参加するなど、アスリートたちの健康改善に共に取り組んできた。オープニングアイズでは視力検査の結果に応じて眼鏡を無料提供し、治療が必要な場合は地域の医療機関を紹介する。病院を怖がるアスリートも、競技会場で医師やボランティアが親しく接することで、安心して検査を受けられるのだという。そしてHAPは障害者を取り巻く人々にとっても、健康チェックの必要性を理解する機会になっている。

SOの誕生は1962年に、故ジョン・F・ケネディ元アメリカ大統領の妹、ユニス・ケネディ・シュライバー氏が、知的障害のある人たちのために自宅の庭を解放してスポーツのデイキャンプを開催したことに端を発している。当時は今以上に知的障害者がスポーツを楽しめる環境や機会は少なかったが、障害があってもスポーツを通じて体力やさまざまな能力を向上させることが出来ると、シュライバー氏は確信していた。この活動は世界中に広がっていき、オリンピックと同様に4年周期で夏季と冬季に大会が開かれるようになった。日本でも93年にSOの活動がスタートし、94年にSO日本(SON)が発足した。しかし日本ではライオンズクラブにおいてですらSONの認知度は低く、01年に国際協会がSOとパートナーシップを結んでからもあまり変わらなかった。それが一気にクローズアップされるきっかけとなったのは、05年2月26日~3月5日に長野で開かれたSOの第8回世界大会である。

SONAの開会式では、日本を公式訪問中だったライオンズクラブのクレメント・クジアク国際会長夫妻がアメリカ選手団の先頭で入場した

「わたくしたちは、精一杯力を出して勝利を目指します。たとえ勝てなくても、がんばる勇気を与えてください」
SOの精神であるこのアスリート宣誓で、スペシャルオリンピックス冬季世界大会・長野(SONA)は開幕した。アジアでは初の世界大会だ。80の国と地域から約2500人のアスリートが参加し、1万1000人のボランティアがこれを支えた。SOの大会では決勝の前に、「ディビジョニング」と呼ばれる競技能力等に応じたクラス分けのための試合が行われる。予選のようなものだが一般の競技と違うのは、予選に参加した全員が各クラスに分かれて決勝に進むこと、そして決勝で順位は付くものの全員が表彰されることだ。自分に挑戦した全ての人が、その健闘をたたえられる。それこそスポーツマンシップを体現していると言えるのではないだろうか。SONAでもアスリートたちは持てる力を尽くして競技に挑み、家族や観客、ボランティアらは全力でそれを応援した。

スポーツの祭典の傍ら、SONAとその前年に長野で開かれたプレ大会となるナショナルゲーム(全国大会)でもオープニングアイズを含むHAPが実施され、日本ライオンズはこれらに協力した。幸運にも当時、開催地である334-E地区(長野県)の野中杏一郎地区ガバナーが長野県眼科医会会長を務めていたことから、ライオンズと眼科医会の連携が非常にスムーズに進んだ。専門医による眼圧や眼底などの検査には眼科医、眼鏡検査士がボランティアとして携わり、医師以外でも出来る視力検査(遠方視力、近方視力、斜視、色覚、立体視等)には地元のライオンズ・メンバーも協力した。オープニングアイズ・プログラムによりプレ大会では200人以上のアスリートが検査を受けて約50人に眼鏡等が処方され、SONAでは500人以上が受診し200人以上が何らかの処置が必要と診断された。更に、日本ライオンズはメンバー一人当たり300円(334複合地区<東海・北陸地方>は500円、334-E地区<長野県>は3000円)を集め、計約4600万円をSONAに贈呈。これは主に地域や学校単位で代表団を受け入れて交流を図る「ホストタウン・プログラム」に活用された(『ライオン誌』05年5月号)

広島でのOSEALフォーラムで公式事業として開催されたボッチ大会

SOの活動は、各地域での日常的なスポーツトレーニングが基盤となっている。長野大会の前後から、ライオン誌にも各地のクラブから地元のSOへの支援活動が投稿されるようになった。例えば新潟県・長岡長生ライオンズクラブは2004年からSOへの支援を始め、競技会の運営ボランティア、ユニフォームやボール等の寄付、16年に新潟で開催されたナショナルゲームのトーチラン(SOの聖火リレー)への参加など、さまざまな支援を続けている。18年には市のイベント会場で、SOの新競技となるボッチ(=ボッチャ)とカローリングの体験会を開催。市民とSOアスリートが一緒に競技を楽しんだ(ウェブマガジン「活動報告」18年12月掲載)。また岡山ライオンズクラブは、SOの活動支援に特化したチャンピオンズクラブ支部を結成。19年に広島で東洋・東南アジア地域のライオンズが集う「OSEALフォーラム」が開かれ、公式行事の一つとしてボッチ大会の開催が決定すると、運営からこれに参加。当日はSO岡山やSO広島のアスリート、またボッチ初体験のフォーラム参加者らと一緒に混合チームを結成し試合を行った。こうしたスポーツを通じた交流では、皆すぐに打ち解けることが出来たという(ウェブマガジン「活動報告」19年12月掲載)

夏季全国大会・愛知ではSOのアスリートと一緒に、ライオンズクラブの山田實紘元国際会長らライオンズ・メンバーもトーチランに参加した

2017年には、一般社団法人日本ライオンズがSONとパートナーシップを締結した。これにより両組織は協力関係を強化し、障害のある人とない人が共に生きる共生社会の実現のために共同事業を推進していくことになった。18年に愛知県で開催された夏季ナショナルゲームでは、地元334-A地区(愛知県)のライオンズが大会支援委員会を組織。大会ボランティアや広報事業となるトーチランの運営ボランティアとして参加した他、競技会場ではアスリートのアレルギーにも配慮した昼食を6000食強提供した(ウェブマガジン「ニュース」18年9月掲載)。日本ライオンズは21年2月に北海道で予定されていた冬季ナショナル・ゲームでも資金・運営両面において全面的な協力を続けてきたが、残念ながら新型コロナの影響で中止になった。が、その翌月の3月には、SOのヘルス分野への支援に対して贈られる最高位の賞である「2020年度スペシャルオリンピックス日本ゴリサーノアワード」を受賞した。

SOの活動にはボランティアの協力、支援が不可欠だ。ライオンズクラブは日本ライオンズとSONとの強力タッグ、日本各地のクラブによる密接な支援、そしてLCIF交付金を通じたSOとの国際的なパートナーシップを通じて、誰もがスペシャルな一人として輝ける未来へ向けて共に歩みを進めている。

2021.11更新(文/柳瀬祐子)