投稿リポート
小さな石の大きな物語
駒姫"黒髪塚掲示板"贈呈
山形中央ライオンズクラブ
#人道支援
9月17日、山形中央ライオンズクラブ(38人)は山形市緑町の専称(せんしょう)寺に黒髪塚掲示板を寄贈した。これは、山形繁栄の礎を築いた最上家と駒姫にまつわる史実を伝えるものだ。当クラブの今期のテーマは「持続可能な未来につなぐ SDG’sと共に」。コロナ禍で日常生活に困難が多い中でも、地域社会の役に立つ事業を、との思いで実施した。新たなランドマークとして地域の人や観光客に末長く親しんでもらえることを期待している。
駒姫は、最上義光の次女として生まれ、豊臣秀吉の甥である秀次の側室候補となる。しかし、豊臣秀吉に謀反の疑いをかけられた秀次に連座し、わずか15歳で処刑されてしまった。この事件で娘を失った最上義光の豊臣家への恨みは大きく、「東の関ヶ原」と呼ばれた「慶長出羽合戦」(1600年)で義光は徳川家康側につき、勝利を収めることになる。この活躍が認められ、出羽山形藩の初代藩主となった。義光の政治は人々に好評で、農業、商業が発展。義光存命中は一揆もほとんど起きなかったと言われており、現在の山形の礎となっている。
一方、処刑後に密かに持ち帰られた駒姫の遺髪は専称寺の土中に埋葬され、丸石を冠した髪塚・黒髪塚として400年以上も密かに供養されてきたと伝わっている。この光と影の歴史は、山形の郷土史には欠かせない出来事だ。そこで、これらを「黒髪塚掲示板」に記し、郷土を襲った困難と、その克服の歴史を改めて知ってもらう機会として、菩提寺である専称寺に寄贈した。
心身共に影響を受けやすいコロナ禍だからこそ、生活基盤である地域社会が健全であることが大切だと考えている。掲示板を読んで、改めて自分たちの郷土の歴史を感じてもらい、それが郷土愛につながることを願っている。また、最上義光らが悲しみを乗り越え、山形を繁栄させた歴史を、自分たちに重ねてこのコロナ禍を乗り切るための活力にしてもらえれば幸いだ。この掲示板が郷土の歴史を学ぶ「歴史のランドマーク」になり、そこに書かれた悲しみと克服の物語を読んで元気を取り戻す「心のランドマーク」になることを祈っている。
2021.10更新(会長/諏訪洋子)