取材リポート きれいな湖を次世代に
諏訪湖ヒシ除去作業

きれいな湖を次世代に 諏訪湖ヒシ除去作業

ひし形という形がある。全ての辺の長さが等しい四角形だ。対角線が直角で交わる性質を利用し、対角線×対角線÷2で面積が求められる。小学校5年生で習うこの公式を日常生活で利用することはほとんどないが、よく目にする形である。トランプのダイヤマークや、衣服のアーガイル柄、電車のパンタグラフなど。前方に横断歩道や自転車横断帯があることを示す路面標示もひし形である。

では、なぜ「ひし形」という名前なのだろうか。実は植物のヒシに由来する。葉か種子かどちらの形を指すものかは定かでないが、ヒシが由来であることは間違いなさそうだ。ヒシは水底に根を張り、水面に葉を伸ばす水生植物で、日本では古くから比較的身近な植物だった。『万葉集』では柿本人麻呂が「君がため 浮沼(うきぬ)の池の 菱(ひし)摘むと 我が染めし袖 濡(ぬ)れにけるかも」と詠んでいる。種子を食べるために摘むことも多かったようで、「ヒシを摘もうとして袖がぬれた」という内容の歌は他にもある。また、ヒシ科の植物であるオニビシやヒメビシの種子を乾燥させ、忍者の使うマキビシが作られていたという話もある。

湖岸近くの水面を覆うヒシ

繁殖力、生命力の強さから子孫繁栄、無病息災の象徴ともされてきたヒシだが、現代においては環境問題の一つとして人々に影響を与えている。長野県岡谷市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町にまたがる諏訪湖でもヒシの大量発生が深刻な問題となっている。ヒシが水面を覆うように茂ると、水中に溶けている酸素量が減って溶存酸素濃度が低くなり、魚など水生生物の生育に悪影響を及ぼすと考えられる。加えて、ヒシは船のスクリューに絡まるなど船舶の航行の妨げとなる。ヒシの葉を食べるジュンサイハムシが増えて周辺の家に飛来したり、秋には枯れたヒシが腐敗して悪臭を放つ原因にもなる。ヒシは水深の浅い湖の外周に沿って根を下ろすことから、諏訪湖の景観を損なっているという意見もある。

諏訪湖はかつて非常に水質の良い湖だったが、戦後の高度経済成長期に生活排水などが流入、富栄養化が進んだ。これにより1970〜80年代にはアオコが大量発生するようになり、環境問題になっていた。これに対して周辺住民や行政による水質改善の努力が重ねられてきた。諏訪湖のヒシはもともと、アオコ対策として植えられたものだという。ヒシには水中のリンや窒素を吸収して水質を改善する役割があり、この効果によるのかは定かではないが、諏訪湖のアオコは99年には激減する。しかし2002年を最後に湖底をさらう浚渫(しゅんせつ)事業が行われなくなると、次第にヒシが増加。前述のような問題を引き起こすようになった。

こうした諸問題に自治体も対策を講じている。水草刈り取り船を導入して除去作業をすると共に、自治体と諏訪湖の関係団体などで「諏訪湖創生ビジョン推進会議」や「環境市民会議おかや」を作って解決に向けて活動してきた。こうした努力のかいもあり、2009年には湖面の約18%を覆っていたヒシも、16年ごろからは12〜13%ほどに落ち着いてきた。水草刈り取り船で取れない部分などは毎年、諏訪湖漁業協同組合とNPO法人諏訪市セーリング協会に舟を出してもらい、周辺団体や地元住民が参加して手作業でヒシの除去を行っている。

岡谷ライオンズクラブ(小口恒樹会長/96人)もこのヒシ除去作業に参加する団体の一つだ。今年は7月10日に行われたヒシ除去作業で炎天下に汗を流した。昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で実施されなかったため、2年ぶりの作業となった。通常は一般市民からも参加者を募集して150人ほどで行われるが、今回は周辺団体のメンバーのみ。1隻の舟に乗る人数も例年より減らして行われた。また、熱中症対策として10分ごとに船着き場に戻ることが推奨されていた。

身を乗り出してヒシを除去する

ヒシはむやみに引っ張ると途中で切れてしまう。手を伸ばしてヒシを腕に巻きつけ、引っ張っていく。かなり体を乗り出すことになるので、舟の重心が偏りやすい。夢中になって作業して舟を転覆させてしまわないよう注意が必要だ。

わずか10分の作業でも引き抜くヒシの量は舟に山盛りになるほどだ。今年度334-E地区(長野県)のガバナーを務める諏訪湖ライオンズクラブの増澤義治さんも地区役員メンバーと一緒に参加。岡谷ライオンズクラブのメンバーと共に懸命にヒシを除去していた。引き抜いたヒシは船着き場まで運んでパッカー車に入れていく。これらは有機肥料として再利用されることもあるという。

諏訪湖では手刈り、水草刈り取り船と合わせて年間500tを超える量を除去しているが、それでもヒシが湖岸に沿って群生している。この日も2時間ほどで約3tを抜き取ったが、まだまだ先は長い。今年は7月5日に水草刈り取り船による除去作業がスタート。アルゼンチンとイタリアのボート競技代表選手たちが東京オリンピックの事前合宿を諏訪湖で行うため、その練習コースから始め、9月にかけて510tを刈り取る予定だ。

岡谷ライオンズクラブには諏訪湖近辺で育ったメンバーが多い。小さい頃から生活の中心にあり、親しみを持って眺めてきた湖をきれいな状態で次世代に引き継ぐため、ヒシ除去作業にも積極的に協力している。諏訪湖創生ビジョン推進会議や環境市民会議おかやで得た情報はクラブ内で共有。周辺のライオンズクラブとの合同事業で諏訪湖清掃などにも取り組んでいる。クラブは今年結成60周年を迎えた。「未来へつなげよう奉仕の心」とスローガンを掲げ、シジミ、ウナギ、ワカサギなどが豊富に取れたかつての諏訪湖を取り戻すべく環境問題に取り組んでいく。

2021.08更新(取材・動画/井原一樹 写真/田中勝明)