フォーカス
ミャンマーの子どもたちへ
支援を続けて30年
河津善博(福岡LC)
この金色のお釈迦様はミャンマーで制作され、今年1月に博多港に到着しました。ミャンマー軍によるクーデターが発生したのは、それから間もなくのことです。その後3月に、私が組合長を務める福岡市博多区の吉塚市場に完成した御堂に釈迦像を安置し、開眼供養を行いました。吉塚市場はJR博多駅から一駅という便利な場所にありますが、周辺に大学が多くて比較的家賃が安いので、アジアを中心に海外からの留学生が大勢暮らしています。昨年9月から、外国人との共生と、市場の活性化を目指して「リトルアジアマーケット」としてリニューアルを進めており、釈迦像は市場に集うアジア各国の人たちの心のよりどころにしてもらおうと、私が長年通っているミャンマーからお招きすることにしました。東南アジアの人たちは、こういう金ぴかのお釈迦様でないと手を合わせる気持ちにならないのだそうです。
私が初めてミャンマーを訪れたのは、30年近く前のことです。福岡・ミャンマー友好協会の理事をしていた知人の誘いで、訪問団に参加しました。目的は貧しい子どもたちへの支援と、太平洋戦争中のインパール作戦で命を落とした日本兵の慰霊で、滞在中に数カ所の孤児院を訪れたんです。ミャンマーでは孤児院や貧困層の子どもが通う学校は寺院が運営していて、子どもたちは雨が降れば授業が出来なくなるような教室で学んでいた。そのすさまじい貧しさと子どもたちの澄んだ目を見て、何とかしたいと心を動かされました。
それからは年に1、2回、ミャンマーに通っています。現地で親しくなった日本語ガイドの協力で、困窮している施設を訪問しては、資金援助や施設の備品、食料などさまざまな支援をしてきました。子どもたちが卵を食べられるようにと、養鶏場を作ったこともあります。2006年には、ヤンゴン近郊のインダゴー町にあるナイヨジー寺院学校で校舎の建設を支援しました。よく、軍事政権の国は怖くないかと言われますが、ミャンマーの人たちは礼儀正しくてとても優しいし、暗くなってから一人で出歩いても全然平気です。これまでに連れて行った私の家族や知人は、みんなミャンマーが大好きになりました。
福岡ライオンズクラブがミャンマーの支援に乗り出したのは、2006-07年度のクラブ会長になった瀧野隆さんがメンバー訪問で私の会社に来られたのがきっかけです。社長室に掛けてあったミャンマーの写真を見た瀧野さんが、「これはぜひ福岡ライオンズクラブでやるべきだ」と言われた。初めは私個人の活動だからと断ったんですが、瀧野さんの強い熱意もあり、私がそれまで支援していたのとは別の地域で福岡ライオンズクラブでも支援事業に乗り出すことになりました。
クラブでは、ヤンゴン市南部の貧困地区、サウスダゴー地区にあるダンマラキッタ寺院学校(小・中学校)の校舎1棟を建設した他、市内の二つの孤児院への支援などを行ってきました。しかし、助けを必要とする施設はいくらでもあって切りがない。そこで瀧野さんの提案で、ミャンマーの人たちが自分たちで奉仕出来るようにライオンズクラブを結成しよう、ということになりました。2011年に経済が解放されて以降、ミャンマーは「アジア最後のフロンティア」と言われて急速な成長を遂げ、新興の財界人が増えていました。そうした人たちでライオンズクラブを作ろうと考えたんです。最初はなかなかうまくいきませんでしたが、瀧野さんにヤンゴンに駐在して運動してもらい、7年がかりで2018年にヤンゴン ライオンズクラブが結成されました。
元高校教諭の瀧野さんは、若者たちへの日本語教育や職業訓練をしながらヤンゴン ライオンズクラブの相談役を務めていましたが、新型コロナウイルスの感染拡大で昨年春に帰国。軍事クーデターでヤンゴンへ戻りたくても戻れない状況で、今は吉塚市場に出来た御堂の堂守をお願いしています。ヤンゴンのライオンズ・メンバーや教え子たちと連絡を取り合いながら、ミャンマーに対する支援の呼びかけや、福岡に暮らすミャンマー人の相談に乗るなどの活動を行っています。
福岡ライオンズクラブでは、若いメンバーたちがクラウドファンディングを利用したミャンマーの孤児院支援プロジェクトを立ち上げ、ヤンゴン ライオンズクラブと連携して孤児院を支援しようと努力しています。30年支援を続けてきたミャンマーの現状を見ると、本当に辛いですが、何とか立ち直ってほしい。そのためにも、自分に出来る支援を続けていきたいです。
2021.08更新(取材/河村智子)
●関連情報(外部リンク)
吉塚市場リトルアジアマーケット https://yoshiduka-yla.com/