取材リポート 高校生のための春待ち
フェニックスコンサート

高校生のための春待ちフェニックスコンサート

2月23日、新潟県長岡市の長岡リリックホールで長岡蒼柴(あおし)ライオンズクラブ(大井盛久会長/127人)が主催する春待ちフェニックスコンサートが開かれた。市内の高校の吹奏楽部が演奏し、オンラインで配信するイベントだ。長岡蒼柴ライオンズクラブの結成55周年記念事業である。10時30分の開演から順に帝京長岡高校、長岡向陵高校、長岡高校、長岡大手高校の吹奏楽部による演奏があり、最後は帝京長岡高校、長岡大手高校、中越高校の3年生による合同演奏が行われ、幕を閉じた。新型コロナウイルス感染症の影響で発表の機会がなくなってしまった高校生に活躍の場を与えたいという、クラブの思いが結実したコンサートとなった。

2020年、長岡蒼柴ライオンズクラブは結成55周年を迎えた。新型コロナウイルス感染症の影響が大きい中で、人々のために働く医療従事者に少しでも元気を届けたいという思いと、青少年を対象とした事業を実施したいという大井会長の方針から、8月27日に長岡赤十字病院前で「蒼いシンフォニー」と題したコンサートを開いた。協力してくれた中越高校吹奏楽部の演奏は、多くの方から好評を得た。

舞台裏で綿密な打ち合わせをするクラブ・メンバー

一方で、クラブ・メンバーの印象に残ったのは、楽しそうに演奏する高校生の姿だった。2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で多くのイベントが中止・延期を余儀なくされた。東京オリンピック・パラリンピックの延期、甲子園で行われる全国高等学校野球選手権大会の中止、交流試合への変更に代表されるように、誰もが感染拡大防止のためにさまざまなものを犠牲にして耐えてきた一年だった。

吹奏楽部の生徒たちも例に漏れず、発表の見通しが立たない状況に追い込まれた。2020年5月、全国吹奏楽連盟が全日本吹奏楽コンクール、全日本小学生バンドフェスティバル、全日本マーチングコンテストの中止を決定。全国吹奏楽コンクールは1940年に第1回が開かれ、43年から55年にかけて太平洋戦争の影響で中止されたが、56年の再開以降では初めての中止となった。地方コンクールについては各都道府県の連盟が判断するとされたが、新潟県吹奏楽連盟も新潟県吹奏楽コンクール、上・中・下越地区吹奏楽コンクールを中止。生徒たちが目標としてきたコンクールがなくなった。イベントの自粛も相次ぎ、高校生たちは演奏を披露する機会が来るのかどうか、全く先が見えない状況で活動を続けていた。

技術の向上や、仲間との一体感を得ることも重要だが、多くの吹奏楽部員は人前で音楽を奏で、喜んでもらうことを目標に活動してきたことだろう。「蒼いシンフォニー」で演奏した中越高校吹奏楽部の部員たちは、ようやく訪れた発表の機会をとても喜んでいた。その姿は「蒼いシンフォニー」を密着取材したBSNテレビの番組でも見て取れた。反響は大きく、クラブにも「元気をもらった」「勇気付けられた」という意見が届いた。一方で、クラブ・メンバーが注目したのは「中越高校の吹奏楽部がうらやましかった」という声だった。発表が出来ず、悔しい思いをしながら活動している吹奏楽部が他にもある。そうした高校生にも機会を与えるのがライオンズクラブの務めではないか。長岡蒼柴ライオンズクラブの面々はそう思った。そこから春待ちフェニックスコンサートの企画がスタート。市内の高校と連絡を取り、その旨を説明した。

準備を進める中で驚いたのが、先生方の熱意だった。3年間、コンクールのために努力を重ねてきた生徒たちに何とか晴れの舞台を経験させてあげたい。その強い思いが伝わってきた。コンクールでは、会場で他校の演奏を聞いたり、違う学校の生徒と交流したりする機会が生まれる。他校の演奏を自分の技術の糧にしたり、それをきっかけに友情を育んだり、そういった機会も全て失われてしまった。コンクールの持つ、演奏以外の面も見えてきた。

クラブでは感染症対策のガイドラインを基に、どうすれば実現出来るかを考えた。「蒼いシンフォニー」は野外での演奏だったことに加え、感染拡大が少し落ち着いていた時期だった。だが、今回は違う。各校の吹奏楽部員が集まるため、万が一のことがあっては大変だ。クラブは全国吹奏楽連盟が出しているものを始めとしたさまざまなガイドラインを参考にし、感染対策を講じた。

来場者はサーモグラフィーで体温を測定。手指消毒をしてもらい、陽性者が出た時のために連絡先を記入してもらう。入退場時はメンバーが扉を開け閉めすることで、接触感染も抑え込む。「ブラボー」といったかけ声なども自粛してもらうよう呼びかけた。

出来るだけ多くの人に演奏を聞いてもらいたいが、そうすると客席が密になることが懸念される。そこでクラブでは一校が演奏を終えるごとに観客を全て入れ替えることにした。入れ替えの際に、一緒に換気も実施。客席はメンバーが全て消毒する。コンサートの総時間は長くなってしまうが、この方法であれば、感染リスクは下げられる。それぞれの高校の吹奏楽部員にとって大切な人に来場してもらえるのではないかと考えた。また、コンサートの様子はオンラインでも配信。当日来られない人にも高校生の晴れ舞台を見てもらえるようにした。

「春待ちフェニックスコンサート」という題名はクラブが考えたものではない。高校生たちの思いをコンサートのタイトルにも冠したいと、各高校から募集し、出てきた言葉を組み合わせたものだ。雪国・長岡の人たちにとって、雪が溶け新しい芽が出てくる春はワクワクする季節だ。2月末という「春を待つ」時期と、新型コロナウイルスの流行が収まり、春のようにワクワクした気持ちで日々を送りたいという願いが込められている。

そして、フェニックスは不死鳥。全国的に有名な長岡まつりの花火大会では、2004年の新潟県中越地震からの復興祈念と支援への感謝を込めて、「フェニックス花火」が打ち上げられる。コロナからの復興、そして自分たちの演奏でフェニックス花火のように人々の心を勇気付けたい、との思いが伝わってきた。

「高校生たちがどれだけこのコンサートを待ち望んでいたか、どれだけ苦しい思いで練習してきたかが分かりました」
そう語る大井会長は、春待ちフェニックスコンサートの最後、帝京長岡高校、長岡大手高校、中越高校の3年生による合同演奏で指揮台に立ち、タクトを振るった。曲は「組曲『惑星』より『木星』第4主題」。新潟県中越地震の際、被災者を勇気付ける応援歌としてラジオで多く流され、フェニックス花火の打ち上げでかかる「Jupiter(ジュピター)」の原曲だ。

4月。雪が溶け、季節は春になる。ジュピターを演奏した3年生は、新たな道へと一歩を踏み出す。苦しい1年だった。例年の3年生が経験した青春とは違う1年だっただろう。それでも、春待ちフェニックスコンサートの演奏は多くの人に勇気を与え、長くつらい自粛の日々に彩りを添えた。その確かな事実を誇りとして、新しい世界に旅立っていってほしい。

2021.04更新(取材・動画/井原一樹 写真/関根則夫)