歴史 視力ファースト
回避可能な失明との闘い

視力ファースト 回避可能な失明との闘い
アフリカ・マリの小学校で視力検査を受ける子どもたち

人が五感から得る情報の90%は、視覚によるものだとも言われる。失明によりどれほど多くを失うことになるかは、想像に難くない。1990年頃、世界保健機関(WHO)の推計によると、世界には約4000万人の失明者がおり、その90%が発展途上国に暮らし、80%は予防または治療による回復が可能なものだった。ライオンズクラブは、1925年にヘレン・ケラーの「盲人のために暗闇と闘う騎士となってください」という呼びかけを受けて以来、視力保護に大きな力を注いできた。当然、こうした失わずに済むはずの視力は守りたい。とはいえ本気で取り組むとなれば、全世界に135万人(当時)の会員を有するライオンズにとっても、規模、期間、資金等、あらゆる面でこれまでの経験をはるかに超えた挑戦となる。

ライオンズクラブの下した決断は、この世界規模での失明との戦いに挑むことだった。そのために、過去最大のライオンズクラブ国際財団(LCIF)交付金事業となる「視力ファースト・プログラム」が計画された。そしてこれは、村上薫に次いで日本からの2人目のライオンズクラブ国際会長となるはずだった小川清司が、1990年の就任と共に全世界のライオンズを率いてスタートするために心血を注いで準備を進めたものだった。が、小川は会長就任をわずか1年後に控えた1989年、この世を去る。それでも、失明との闘いが止まることはなく、小川の魂は視力ファーストの中に生き続け、引き継がれていった。

視力ファーストはWHOや各国政府、民間組織などと連携し、製薬会社からの薬剤の無償提供も受けて、主にアフリカ、ラテン・アメリカ、アジアの貧困地域で実施された。例えば、世界最大の失明原因となっている白内障の手術、トラコーマや河川失明症の感染予防・治療のための薬剤経口投与などだ。更にインフラ整備、医師や専門家の訓練、また保険担当者や教師などにアイケア指導のトレーニングをすることで、小さな村の隅々まで適切なケアの方法を浸透させていった。


トラコーマ予防のために経口薬を投与される赤ん坊

この大規模な活動を長期にわたり継続するためには、十分な資金が必要となる。そこで1991年から全世界で、3カ年計画の資金獲得キャンペーン「視力ファースト・キャンペーン(CSF)」が展開された。小川清司の遺志をくむプログラムの成功が、このキャンペーンにかかっている。日本ライオンズは、視力ファースト国際キャンペーン委員となった元国際理事の篠田博正をトップに、一丸となって資金調達に取り組んだ。メンバーがCSFに寄付するだけでなく、それぞれの地域社会で視力ファーストの目的や意義を紹介し、募金やチャリティー・バザー、チャリティー・コンサートなど、さまざまな形で市民らに協力を募った。その結果、日本の目標額とされた4081万ドルをはるかに超え、6000万ドル近くを獲得。これは、全世界のCSF総額1億5000万ドルの36%を占めるものだった。

CSFを通じた世界中の人々の善意に支えられて、視力ファースト事業は力強く進んだ。アフリカとラテン・アメリカでは、ライオンズ・メンバーでもあるジミー・カーター元アメリカ大統領が設立した非営利組織、カーター・センターとパートナーシップを結び、河川失明症の撲滅を目指した。この眼病は病原となる寄生虫を持つブヨにかまれることで感染するが、経口薬メクチザンの投与により改善出来る。この薬は、ノーベル生理学・医学賞受賞者(2015年)である大村智博士の発見により作られたものだ。

また古代エジプト時代から失明の最大原因だった感染症・トラコーマとの闘いでは、抗生物質ジスロマックの経口投与や、保健教育が進められた。そして河川失明症及びトラコーマ撲滅の闘いでは、遠からぬ勝利の兆しが見えるまでになった。白内障については、先進国では簡単な手術で治療出来るものが、途上国ではそれが受けられず失明する人が多かったが、病院の整備や人材育成により、施術数が大幅に増加した。そしてこれらの取り組みは、途上国政府に公衆衛生や眼科医療改善の必要性を認識させることにもつながったのである。


視力ファースト交付金による支援を受けた病院で、眼科医の診察を受ける男性

視力ファーストは15年間で、世界中の数千万人の視力を守った。そして2005年、資金の底が見えてくると、これまでの実績の検証と、プログラムの進退についての検討が行われた。その結果、継続することが決定。更に奉仕の対象を拡大していくために、2005~08年に視力ファーストⅡキャンペーン(CSFⅡ)が展開され、2億5000万ドルを獲得した。そのうち日本からの寄付額は5700万ドルに上った。

今年度、視力ファースト・プログラムは30周年を迎えた。この間に3億7100万ドルの交付金を拠出し、112カ国で約1400件の事業を行った。主な功績には次のものがある。
 ・白内障手術によって930万人の視力を回復
 ・1351の眼科センターや研修施設を建設、拡張、設備
 ・230万人の眼科医療専門家や地域医療従事者に研修を提供
 ・トラコーマの撲滅に向け、抗生物質ジスロマック1億8800万回分を配布
 ・河川失明症の治療薬メクチザンを3億2580万回分配布

この一つ一つに、視力を取り戻したことで初めて親の顔を見た子ども、家族を養うための仕事を得た人、誰かに手を引かれることなく一人で家の外に出られるようになった人たち、あるいは失明をまぬがれて元気に学校に通う子どもたちなどの、人生が変わったさまざまストーリーがあることを想像してほしい。


CSFⅡで北海道小樽市内の六つのライオンズクラブは合同チャリティー・バザーを開催した

視力ファースト事業の多くは発展途上国で展開されているが、先進国を対象としたプログラムもある。ライオンズ・アイヘルス・プログラム(LEHP=リープ)がそれで、日本でも1995年から3年間にわたって実施された。LEHPは、先進国における失明の2大原因である緑内障と糖尿病網膜症の危険性と早期発見、適時の治療の重要性を知らしめるものだった。専門家らによる開発委員会が、ビデオやパンフレット、マニュアル、ポスターなどの啓発ツールを作成。厚生省(当時)や地方自治体、医師会、眼科学会、糖尿病協会など10以上の関連団体との協力体制を整え、日本全国に三千数百あるライオンズクラブがそれぞれの地域で啓発ツールに基づくアイヘルス・セミナーを開催するなど、目の健康促進に取り組んだ。

LEHPの効果を検証するために、セミナー等に参加した一般の人々にアンケートを行ったところ、受講から3カ月以内に眼科を受診した人は24.6%、そのうち92.9%が「セミナーが役立った」と回答した。また、糖尿病網膜症と緑内障の早期発見・治療の重要性を記したアイヘルス・カードを52万2000枚配布、眼科受診時にこれを持参・提出してもらい、眼科医の協力を得て回収したところ、2万8300余枚に上った。眼科医100人へのアンケートでは、38.5%が「アイヘルス・プログラム実施後、目の検診受信者が増えた」と回答した。

3年間にわたるLEHP終了に当たり、日本ライオンズ・アイヘルス・プログラム執行委員会の委員長を務めた元国際理事の松原文彌は、事業の成功をたたえ関係者に謝意を示しつつ、次のように述べている。
「これで眼病による中途失明がなくなったわけではありません。アイヘルス活動は息長く、粘り強く継続的に行ってこそ、効果が出てくるものと思います。言い換えれば、アイヘルス活動はようやくスタート台に立ったと言えるのではないでしょうか」
これはLEHPだけでなく、視力ファースト全体に当てはまることだろう。これまでに何億人もの人々の視力を守ってきたが、毎年新たな失明者やその危険をはらむ人が生まれる。ライオンズは常に新たな挑戦のスタート台に立ち続けている。

2021.04更新(文/柳瀬祐子)