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ラオスの子どもに学舎を
地域の青少年に広い視野を
岐阜県・関ライオンズクラブ
#青少年支援
インドシナ半島に位置するラオスは、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれた内陸国で、人口約700万人。長く周辺国や大国に翻弄(ほんろう)され続けた歴史があり、国連が最貧国と位置付ける後発開発途上国の一つだ。貧困からの脱却には教育の改善が急務だが、ラオスの小学校の卒業率は86%、中学校で56%、高校では32%にとどまっている(ユニセフ『世界子供白書2019』)。政府の教育予算が乏しく、教室や教員の不足、教員の能力不足、教科書や教具の不足など学校は足りないものだらけで、特に地方の農村部の状況は深刻だ。そんなラオスの子どもたちを支援しようと、関ライオンズクラブ(西村竜一会長/35人)は結成60周年を迎えた2019年、記念事業としてラオス・カムクート郡にある二つの学校へ学舎をプレゼントした。
クラブとラオスとを結び付けたのは、LCIF(ライオンズクラブ国際財団)が日本のメンバー向けに企画したスタディ・ツアーだった。04年から14年にかけて実施されたこのツアーでは、主に東南アジアで日本のクラブが実施したLCIF交付金事業の現場を視察した。2011年1月、ラオスを目的地としたスタディ・ツアーには、関ライオンズクラブのメンバー3人が参加。首都ビエンチャンの眼科センターや、鹿児島県・川内(せんだい)ライオンズクラブの支援で建設された小学校を訪問した(『ライオン誌』11年4月号)。川内ライオンズクラブが支援したのは古都ルアンパバーンから100km余り離れた二つの村にある小学校で、関ライオンズクラブのメンバーたちは新しい校舎で学ぶ子どもたちの姿に大きな感銘を受けた。
それから4年余りが経った15年11月、60周年を3年後に控えた関ライオンズクラブは、記念事業の企画選定をコンペ形式で行った。メンバーから出された提案は、地域の障害者共同作業所の支援、青少年スポーツ大会の開催、小中学校への寄贈事業、市町村合併後の町づくりを考えるシンポジウム開催、ラオス学舎建設支援の5案で、いずれも60周年にふさわしい企画だった。各案のプレゼンテーションが行われた後、会員による投票で選ばれたのが、ラオス学舎建設支援事業だ。ライオンズクラブらしい国際的な活動であると共に、ラオスとの交流が関市の青少年の育成にもつなげられること、LCIF交付金の活用でスケールの大きな夢のある事業になり得ること、地域でのインパクトが大きくクラブのPRになることなど、さまざまな広がりが期待出来る事業で、熱のこもったプレゼンテーションも会員の心を動かした。それに加えて、ラオスにはLCIFスタディ・ツアーに参加したクラブ・メンバーの常川雅通さんが経営するアパレル企業の現地法人があり、情報収集や連絡支援に協力が得られることも、事業成功に向けた大きな安心材料となった。
ラオスへの支援が決まると、クラブは早速、川内ライオンズクラブに依頼して資料を取り寄せた。更に同クラブの建設事業に協力したNPO法人DEFC(京都府京田辺市)の澤田誠二代表(当時)を例会に招き、ラオスの教育の実情を聞いた。そして、16年1月に開いた60周年記念事業実行委員会の第1回会議で、寄贈式を19年3月までに開くこと、予算は500万円で約半額はLCIF人道支援マッチング交付金を申請すること、NPO法人DEFCを外部事業協力者とすること、市民に事業をPRするため毎年秋の関市刃物まつりでラオス物産展を行うことを決定。その後も2カ月に1回のペースで実行委員会を開いて、着々と計画を進めていった。
16年11月、支援先を決めるためにメンバー7人がラオスを訪問。DEFCの現地スタッフの案内で、首都ビエンチャンから車で約6時間のカムクート郡にある2カ所を訪れた。1校目はポーンタン村にあるカムクート中・高校で、遠隔地の生徒のために寮の建設を必要としていた。郡内には小学校は増えているものの、中・高校は数が少なく、遠隔地の子どもは進学を断念するか、遠距離通学や下宿をしなければならない。新しい寮が出来ればより多くの生徒が教育を受けられるということだった。もう1校はナーパワーン村のナーパワーン小学校で、校舎はトタン屋根で壁がなく、強風や降雨時は授業を行えない状況にあった。
現地視察に参加した西村会長は、この時の様子をこう振り返る。
「途上国の学校の状況は映像などを見て分かってはいましたが、現地を訪れて、もっと良い環境で学ばせてあげたいという思いが強まりました。カムクート中・高校はドイツの支援で校舎は整備されていましたが、古い寮は手付かずのままで、生徒たちがこんなところで暮らしているのかと気の毒に思う程でした」
当初の計画では支援対象は1校で、視察した2校のどちらかに絞る必要があった。しかし帰国後の実行委員会で検討した結果、小学校の校舎を新設ではなく改修として、予算内で2校を支援出来ることになった。限られた予算の中、クラブで建設資材の購入費を提供し、工事の労働力を村人たちが担うことで、費用を低く抑えることが出来た。工事に参加することで村人たちに学校への愛着を抱いてもらうというのが、DEFCの方針でもあった。
こうした事業計画が決まった後に、それまで緩やかだったラオス国内での建設申請・承認の手続きが厳格になるなど、予想外の事態にも見舞われた。ラオスでは雨期に工事がストップしてしまうこともあり、期日までに完成するか気をもんだが、どうにか間に合わせることが出来た。
この支援事業は、ラオスの子どもたちの教育環境を向上させることに加え、関市の子どもたちの視野を広げ、生きる力を身に着けてもらうことも大きな目的に掲げていた。ラオスで学舎の建設が進む傍ら、実行委員会は関市の子どもとラオスの子どもの交流事業を計画。寄贈式を翌月に控えた19年1月に小学5年生2人、中学1年生2人を、市民から集めた学用品等を寄贈する特使として派遣した。帰国後の報告会では子どもたちの作文が発表され、「物乞いをする子どもを見てショックを受けた」「貧富の差が大きく、自分たちが当たり前と思っていたことがそうではなかったことに気付いた」「ラオスの子どもたちとの触れ合いから、物の豊かさより心の豊かさが大切だと感じた」などの感想が述べられた。中には将来、国際貢献が出来る人になりたいという子もいて、子どもたちの視野を広げたいと願っていたメンバーたちは、大きな手応えを得た。
そして迎えた19年2月14日の寄贈式には、関ライオンズクラブの一員でもある尾関健治市長を含むメンバー12人と、吉田康雄教育長が出席。子どもたちは「翼をください」を見事な日本語で合唱し、盛大で温かみのある式典となった。新しい学舎の完成により、カムクート中・高校では生徒80人が寮生活を送れるようになり、ナーパワーン小学校では児童65人が改装された校舎で学べるようになった。
こうして60周年事業が完了した後も、関ライオンズクラブはラオスとの交流を通じて青少年の育成を図る事業を計画した。関市の中学2年生をビエンチャンへ派遣して同年代の生徒と交流してもらおうと、19年夏に市内の中学校を通じて参加者6人を公募。20年3月の現地訪問までに10回の勉強会を開くことにした。関の中学生が先生役になって授業を行うことを想定し、勉強会ではメンバーの指導で、子どもたちに何を、どのように伝えるか自ら考えさせ、準備を進めていた。しかし、3月のラオス訪問を目前に新型コロナウイルス感染症が世界的な広がりを見せ、派遣事業は中止となった。
ラオスの子どもたちへ届けるために市民から寄せられた楽器は、今もクラブ事務局に眠ったままだ。西村会長は、コロナ禍により行き来が出来ない中でもラオスとの結び付きを無くさないようにしたいと話す。
「これからもラオスとの交流を通じて、関の子どもたちに世界に開かれた広い視野を育んでいきたい。そのためにも、今回の支援でつながった縁を大切にしていきたいと考えています」
2021.02更新(取材/河村智子 写真提供/関ライオンズクラブ)