投稿リポート
地域の歴史に思いをはせ
清掃奉仕活動
兵庫県・三田ライオンズクラブ
#環境保全
今期は下副田弘文335-A地区ガバナーから、地区内クラブが一斉にライオンズ奉仕デーの活動を行うよう要請があった。三田(さんだ)ライオンズクラブ(衣笠安治会長/26人)も10月10日(土)に実施を予定していたが、台風14号の影響により10月31日(土)に延期された。
当クラブでは毎年の恒例事業として、ライオンズ奉仕デーに旧三田藩主・九鬼家の菩提寺・心月院にある九鬼家の御廟と白洲家の墓地周辺の清掃奉仕を行なっている。九鬼家はもともと志摩国鳥羽藩の藩主であったが、寛永10(1633)年、幕府は九鬼家の家督相続に係る争いを理由に、鳥羽藩初代藩主・九鬼守隆の五男・久隆を3万6000石で三田藩へ転封に処し、三男・隆季には新規に丹波国綾部藩2万石をあてがった。
三田藩の九鬼家においては10代藩主・隆国が、天保10(1839)年に城主大名に引き上げられた。隆国は好学の名君であり、文政元(1818)年、藩校である「国光館」を新たに「造士館」として発展させた。また洋学にも関心を示し、幕末に向け三田藩の近代化を推進する素地を開いた中興の祖である。
三田藩最後の藩主・13代隆義は藩政改革を行ない、軍隊を洋式に改めた。慶応3(1867)年、藩論が倒幕に統一され、鳥羽・伏見の戦いにおいても洋式軍隊を率い官軍として参戦した。また明治維新が起こると、近代港として神戸港が整備されると知るや、幕末から明治維新の混乱による財政の立て直しと廃藩置県で困窮する三田藩士を救うべく、藩士の白洲退蔵(実業家・白洲次郎の祖父)らと共に「志摩三商会」という神戸初の貿易商社を設立する。これが成功を収め不動産や金融業に乗り出し、現在の元町、三宮といった神戸港周辺の都市開発や神戸女学院の前身である女子寄宿学校・神戸ホームの創立に関わるなど、神戸の街づくりに多大な影響を及ぼしている。
心月院での清掃奉仕当日は、紅葉には少し早い時期ではあったが秋晴れの好天気に恵まれ、三田市の基礎を築いた九鬼家と白洲家の悠久の時の流れに思いをはせながら境内の落ち葉をかき、心地よい汗を流した。土曜日でもあったので墓参りの方も多く、「ご苦労さま」と声を掛けられ、気持ち良いものであった。クラブ・メンバーと九鬼家や白洲家のことを語り合い、地域のためにライオンズクラブのモットーである「ウィ・サーブ」の精神でより一層がんばろうと共に誓い、良い一時を過ごすことが出来た。
2020.12更新(奉仕委員長/大西晨夫)