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"聞こえないこと"
について考える
静岡県・富士宮ライオンズクラブ
#人道支援
新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、マスク着用が欠かせない日々が続いている。人々が安心してコミュニケーションを取るためのマスクによって、意思疎通に著しい不便を感じているのが聴覚に障害のある人たちだ。聴覚障害者がコミュニケーションを取る際には、相手の口の動きや表情の変化から多くの情報を読み取っている。コロナ禍の報道で目にすることが増えた手話通訳者が、口元を隠すマスクを着用しないのはそのためだ。
手話は言語であると定義したのは、2006年12月の国連総会で全会一致により採択された障害者権利条約。日本では11年に施行された改正障害者基本法で初めて手話が「言語」として規定された。これを受け、手話の普及を目指す手話言語条例制定の動きが全国的に広がり、静岡県富士宮市でも16年4月1日に県内初となる富士宮市手話言語条例を施行した。この動きを後押しするため、18年1月21日に聴覚障害・啓発講演会を開いたのが富士宮ライオンズクラブ(望月達也会長/64人)。市民に条例を周知して手話は言語であることを認識してもらおうと、静岡県聴覚障害者協会の小倉健太郎事務局長を講師に招いた。
小倉事務局長の講演では、聞こえないことで日常生活に生じる不便さや、手話による感情表現などがエピソードを交えて語られている。感染拡大が聴覚障害者の日常生活に大きな影響を及ぼしている今、改めて「聞こえないこと」について考えてみたい。
*以下、ライオン誌2018年5・6月号「特集:聴覚障害者支援」から転載
富士宮ライオンズクラブ 聴覚障害・啓発講演会 (2018年1月21日開催)
「聞こえないことについて」
講師:小倉健太郎(公益社団法人静岡県聴覚障害者協会事務局長)
「聴覚障害者」という言葉がありますが、生まれつき、または日本語を覚える前に耳が聞こえなくなった人のことを「ろう者」と言います。聴力レベルを表すには、音の強さを示すデシベル(dB)という単位が使われています。これは正常値が0で、難聴の程度が強くなるほどこの値が大きくなります。医学的には30dB以上が「軽度難聴」、50dB以上が「中度難聴」、70dB以上が「高度難聴」、100dB以上が「ろう」とされます。最重度の聴覚障害者のことを、「ろう者」と私たちは言っています。
音が聞こえる皆さんの中には、「ろう」という言葉を、何か差別的な言葉のように捉えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、それは誤解です。「ろう」は差別語ではありません。それどころか、私たちにとって「ろう」という言葉は誇りある言葉です。ろう者は皆、「私はろう」「私はろう」という風に言います。ろう者にとって、生活に不可欠なものは手話です。ろう者は、手話で思考します。夢を見る時も、独り言も手話。今日はああして、こうして、と考えるのも全部手話です。今日は、この手話についてお話ししますが、その前に、表題にもなっている、耳が聞こえないということがどういうことなのか、そこから入りたいと思います。
さて、私たちろう者にとって不便なことと言ったら、どういう場面を想像されますか? まず、私たちは歩くことは出来ます。そして服も自分で着ることが出来ます。また食べることも料理をすることも、お風呂へ入ることも出来ます。つまり身の回りのことは普通に出来ます。このように、ろうは外見から見て、非常に分かりにくい障害なんです。実はそこが、不便な点の一つです。また、聞こえないために、音による情報を獲得することが出来ず、その壁に苦労しています。例えば、この会場で火災とかが起きて、何らかの放送があった場合に、私はその放送を聞くことが出来ません。会場の入口近くで、大勢の人がばたばたしていることは、目で見れば分かりますが、その理由は分かりません。それから、誤解もよくされます。道を歩いている時に「小倉さん」と呼び止められても、私たちには全く聞こえていません。そのため、そのまますたすたと歩いて行ってしまい、呼び止めた人から「あれ、無視された。あの人は冷たい」と捉えられることがあります。本当は聞こえない障害があるだけなのに、呼び掛けても反応のない人と思われてしまうんです。これら三つのことが、不便なことと言えます。ただ、これらは不便なことではありますが、不幸ではありません。あくまでも不便なことです。
少し具体的にご説明します。(左手の手のひらを上に向けて、右手の親指と人差し指で挟む手話を示し)これは「駅」という手話です。今はICカードになっていますが、昔は改札を入る時、切符をはさみで切っていましたね。そこからきています。この駅が、私たちにとっては不便な場所になります。主要な駅だと、だいたい電光掲示板があって、電車の時間や列車名などが表示されています。しかし、何かの影響でダイヤが乱れた時など、構内アナウンスがあったとしても私たちには聞こえません。それに、列車の乗り換えも、車内のアナウンスだけでは分かりません。私には実際に、苦い経験があります。
山形新幹線の「つばさ」は、東京駅からは東北新幹線の「やまびこ」と連結され運行していますが、福島駅で分かれることになります。でも私はそれを知らず、「つばさ」に乗っていたため、本当は仙台へ行きたかったのに、案内の放送を聞くことが出来ず、山形へ行ってしまったことがありました。このように駅や列車は、ろう者にとって、時に不便な場所や移動手段になったりします。駅のホームは本当はいろいろな音がして、騒がしい場所だと思います。構内アナウンスもあります。でも、音で情報を得られない私たちには文字情報が必要です。字幕があれば、難聴者や高齢者には便利だと思うんですが、今のところそこまでの情報はないので、よほど注意をしていないと困る場合が多々あります。
それから買い物の際に困ることがあります。それは店の方との会話が成り立たないことです。レジでもそうですし、売り場でもそうです。もちろん人とコミュニケーションが取れないのは、買い物に限らず、どの場面でもあります。でも、買い物は日常的に必要なことなので、とても困ります。魚屋さんで、魚をさばいてくださいとお願いした場合、もちろん身ぶりで通じる時もあるのですが、通じないケースが多いのです。私は魚が好きなので、よく買いに行きます。その時、魚を一匹買って、これを二枚におろしてくださいとか、内臓を取ってくださいとかは結構OKなんです。最近は、三枚におろしてくださいというお願いも通じるようになりました。しかし、前は本当に通じませんでした。聞こえないために先方が言っていることが分かりませんし、私も声が出せません。ご高齢のろう者に話を聞くと、以前はレジに買い物金額が表示されなかったので自分が買った物がいくらか分からず、とにかく大きいお金を出すくせがついてしまって、お釣りの小銭がどんどん増えて財布が重たくなるという状態だったようです。最近のレジは金額が表示されるのでそんなことは無くなりましたが、以前に比べてレジの方が言葉を掛けてくることが増えているようです。
例えば今はエコの観点から、袋は要りますかとか、箸は要りますか、などと聞かれます。コンビニで弁当などを買った場合、電子レンジで温めますかということも聞かれたりしているようです。冷たい物と温かい物を一緒に入れてよろしいですか、それとも別にしますか、などの質問もあるようです。レジに表示された金額に合わせて、財布の中身を確認している間も、話し掛けられていることが多いようですが、私たちにはそれが分かりません。行きつけのコンビニなどでは、店員さんが私のことを覚えてくれて、箸であれば現物を見せて、「これ要りますか」という風に示してくれるようになりました。温かい飲み物と冷たい飲み物の場合も、身振りで伝えてくれるので、私もそれを見て答えるようにしています。私が小さかった頃に比べると、相手の方が合わせてくれることが多くなり、うれしく思っています。
ところで銀行の窓口は午後3時までですね。ろう者も仕事を持っているので、仕事が終わってからでは銀行の窓口は閉まっています。そのため親や配偶者など、家族に頼む場合がありますが、その際、本人確認をしないといけないことがあります。でも、私たちは電話で話すことが出来ません。落とし物をした場合や忘れ物をした場合でも、本人確認のため自分が電話に出ることを求められますが、私たちにはそれは出来ないのです。
病院でも困ることがあります。静岡県の場合、事前に病院での手話通訳を依頼すれば、全ての自治体で対応してもらえます。ろう者が一番手話通訳を依頼するのが、この病院です。ただ、病院に手話通訳を伴って行くと、医師が手話通訳の方に対して、「あなたは誰ですか」と聞くことがあります。「筆談出来るから、手話通訳は必要ない」と、手話通訳の同席を拒むお医者さんもいまだにいます。確かに、筆記は出来るかもしれません。ただ、体の状態を伝えるためには細かい表現が必要ですよね。筆談ではなかなかニュアンスが伝わらないことも、手話通訳を通して声で表現すると、よりはっきりと伝わることもあります。ですから、お医者さんには手話通訳の同席を拒まないでほしいと思います。また、病院の呼び出しの方法ですが、大きな病院だと受付番号などが診察室のそばに掲示される場合がありますが、小さな病院ではいまだに音声で名前を呼ばれます。でも、私たちには聞こえません。通訳が一緒にいる場合は大丈夫ですが、少しおなかが痛いとか風邪ぎみ程度なら、ろう者は一人で病院に行きます。こういう時に呼び出されても、全く分からないため、不在と思われて後回しにされてしまうこともあります。そういう場合、医療関係者が肩をとんとんとたたいて「あなたですよ」と教えてくれると助かります。
このように耳が聞こえないことで不便なことはたくさんあるんです。逆に言うと、皆さんが普段いかに聴覚に頼って生活しているかということになると思います。
今までお話しした事例は、老若男女共通のものですが、子どもたちにはこの他に、学校という場所があります。ろうの歴史ということでお話ししますと、ろう者が、差別を受けた場所の一つに学校があります。現在は「手話は言語」だということは、世界では当たり前のことです。しかし以前は、手話は言語ではないと考えられていました。それを覆したのが、ウィリアム・ストーキーというアメリカの言語学者です。ろう者の大学で教壇に立っていた彼は、ろう学生たちが話す手話の会話を観察してきた経験を踏まえて、1960年に「手話の構造」という論考を発表しました。手話は英語とは異なる構造を備えた自然言語であるということを、言語学者として世界で初めて指摘したのです。これによって手話の認知度が高まり、時が経った今では、世界中で「手話は言語」であるという認識が定着しました。
日本では、33年に時の文部大臣が「手話は国語にあらず」と発言して、文部省が「口語法」を推奨しました。これは、ろう者に発音を教え、相手の口の形を読み取らせる教育方法で、ろう学校の中には手話を禁止する学校もありました。ろう者は学校で手話を使ってはいけないというふうにされてしまったのです。でも、人の唇を見て内容を理解するのは、とても難しいことです。
このように33年以降、多くのろう学校から手話が消えました。子どもたちはずっと、学校では手話はしてはいけないと教えられてきました。そのため子どもたちも、手話をやりたいなどとは言えませんでした。教育現場でもそうなので、会社など労働の場面でもどこでも、手話は言語として認められてきませんでした。しかし、今は少しずつ変わり始めています。まず93年に文部省が「聴覚障がい児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議」の報告の中で、手話の必要性を公に認めました。その2年後、酒井法子さん主演のドラマ「星の金貨」が放映され、手話を使ったコミュニケーションが描かれました。私はこの頃から、手話に対する認知度が一気に高まったと思っています。
そしてついに2016年3月3日、全ての地方議会で、国に対し、手話を日本語と同等の独自の言語であることを位置づける「手話言語法」の早期制定を求める意見書を提出することが採択されました。
手話は言語であり、日本語と同等です。しかしもちろん、異なる部分もあります。皆さんは耳で会話を聞きますが、ろう者は目を使います。音声で会話をする時は、騒音のある場所では会話が出来ません。その点、手話は騒がしい所でも成立します。ただ、手話は暗い場所では使えません。明るい所でないと見えません。音声による言語と、手話のような視覚言語、そういう意味ではこれらは別の言語だと考えてください。私たちは手話があれば安心して生活出来ます。相手が少しでも手話を表してくれると、ああ、この人は分かってくれているんだなと安心出来ます。日本人同士は外国人と比べて、目を合わせて話さない人も少なくありません。しかし、手話はそうはいきません。けんかをする時も、恥ずかしい時でも、とにかくどんな時でも視線を合わせないと伝わらない言語です。視線がずれると伝わらない。伝えたいという気持ちを持って、相手の目を見る。先ほど、石川正会長(富士宮ライオンズクラブ/当時)から「心の扉を開いて」というごあいさつを頂きました。本当にそれが必要な言語なんです。
それに手話は表情が必要です。楽しいとか、怒っているとか、悲しいとか、それをはっきりと伝えていくことが必要です。感情を表すグラデーションというものもあります。例えば「好き」という手話は、親指と人差し指をあごから出します。皆さんもやってみてください。
そうですね。では、「ちょっと好き」というのはどうやると思いますか? あ、皆さんお上手ですね。じゃあ、「大好き」は? いいですね。表し方はばらばらですが……(笑)。ものすごく長く手を伸ばして「大好き」とされる方もいました。何回も「好き」を繰り返すという方もいました。それも分かりますね。私は表情で「大好きだよー」という顔を作ります。長く伸ばして「好き」という方も、何度も「好き、好き、好き」とやるのも伝わると思います。でも、ろうは「本当に好きなんだよ」という表情で表現します。手話ではそれだけ、表情が重要になります。これからはろう者に会った時、表情豊かに接してみてください。
2020.09更新