歴史
イアーバンク:
音のある世界へ
1974~2004年
日本のライオンズクラブは、初期から各クラブがそれぞれの地域でさまざまな聴覚障害者福祉に取り組んできた。とはいえ、「ライオンズのお家芸」と評される視力保護関連事業と比べると、数ある奉仕活動の中の一つといった控えめな印象は否めない。しかし1978年、それが最前線に押し出される日が訪れた。東京で開催された第61回国際大会で国際会長となったラルフ・A・ライナム会長がその就任演説で、聴力保護・言語障害者福祉強化の方針を発表したのだ。それはライオンズの奉仕の原点に根差しつつ、新しい展開を力強く進めようという意欲に満ちたものだった。
聴力は、耳の中の外耳、中耳、内耳の三つの部分が巧みに連携して音のエネルギーを伝えることで生じる。それが伝わりにくい、すなわち聞こえにくい場合、その度合いにより軽度~重度の難聴と診断される。難聴には移植により改善されるものもあり、移植に必要な鼓膜や耳小骨の提供を受けて保存するイアーバンクは、ライナム会長の出身国であるアメリカなどで成果を上げていた。
東京国際大会でライナム会長の熱い演説に胸を打たれ、これに応えようと動き出したのが、335-A地区(兵庫県東部)の八木米次地区ガバナーだ。「日本でもイアーバンクを設立出来ないものか」と、何人もの外科・耳鼻科医に意見を聞いて回った。が、誰もが首を横に振った。遺体を傷つけることへの遺族の精神的負担、頭蓋骨を開いて必要な組織を取り出す大掛かりな施術、その組織を保管する設備の問題。これら全てをクリアすることは不可能だと断じた。
それでも、八木ガバナーは諦めない。旧知の仲であった兵庫医大理事長の森村茂樹氏、更に坂井時忠兵庫県知事に話を持ち掛けた。知事はイアーバンクを福祉の目玉にしようと考えるようになる。兵庫医大には県の奨学金を受けている学生がいたことで、県と医大にもつながりがあった。医大側も何より地元のためになると前向きな姿勢を示し、県、医大、ライオンズクラブの三者が協力し日本で最初のイアーバンク設立に向けて努力することを申し合わせるに至ったのである。
準備は335-A地区聴力保護言語障害者福祉委員会が中心となり進められた。アメリカのライオンズと医師会、イアーバンクが共同で作成したイアーバンクの紹介映画を取り寄せ、関係者に見せて理解を深めた。79年5月に開催された335-A地区年次大会では、イアーバンク設立の資金として3000万円を目標に、地区内メンバーが年間2000円を3年間拠出することが決議された。その半年後には兵庫医大付属病院の医師ら3人が渡米し、現地のイアーバンクを視察。「これなら日本でもやれる」という確信を得た。
兵庫医大はアメリカのイアーバンクから耳小骨などを輸入、患者への移植を行い、難聴を改善出来ることを実証した。80年2月には兵庫県が1500万円を予算化し、これにより献体を凍結乾燥し真空パックまで自動で行う機械をアメリカから購入。同年5月には335-D地区(兵庫県西部)でも会員一人当たり500円の協力金拠出が決定した。7月、ライオンズが県耳鼻咽頭科医会に依頼していた調査結果として、県内に手術対象に該当する人が3000人いることが判明。そして11月、ついに足掛け3年の努力が実り、国内初、世界で7番目となる財団法人兵庫イアーバンクが認可されたのである。
兵庫イアーバンクの目的には、次の三つが掲げられた。
①移植手術によって伝音性難聴を治療し、聴力を改善する
②内耳の病理組織標本を作成し、難聴とめまいの病理研究に資する
③これらの研究、治療手術を通じて専門医の教育、要請に役立たせ、もって難聴者の救済更に県民の福祉に寄与する
兵庫イアーバンクでは、側頭骨をホルマリンで処理し凍結乾燥させるという独自の技術も開発。拒絶反応を減らし、移植を受けた人の聴力をほぼ100%改善させた。ある人は、初めて電車や飛行機の音を聞き、「世の中がこんなにうるさいとは知らなかった」と驚きながらもうれしそうに笑った。
84年からは335-B地区(大阪府、和歌山県)、335-C地区(京都府、滋賀県、奈良県)も兵庫イアーバンクへ協力金を拠出するようになり、85年には335-A、B、C、Dの4地区から成る335複合地区の事業となった。イアーバンクの恩恵は兵庫県だけでなく全国にまたがるという実態に沿って、2000年には「財団法人愛のこだまイアーバンク」と改名した。
しかし04年、状況が急転する。カナダで、移植による肝炎や狂牛病発症の疑いが報告されたのだ。これを受けて厚生労働省からイアーバンクへ、「硬膜を含んだ中耳摘出は望ましくない」との通達が出された。イアーバンクは協議を重ねた末、「事故が起きてからでは遅い」と、断腸の思いで解散を決定。新たに「特定非営利活動法人デフピープル」を設立し、イアーバンクの残余財産を聴覚障害者支援事業への助成金として活用することを決定した。
助成金の対象となるのは、335複合地区内のライオンズクラブによる聴覚障害者の社会参加を支援する事業で、1クラブ当たり100万円の上限と、総事業費の30%をクラブが用意することが条件とされた。助成金は、コンサートなど聴覚障害者の参加が困難な行事への招待や、施設や学校への字幕チューナー付きテレビ、パソコン、訓練教材などの寄贈、手話通訳や要約筆記のボランティアの養成、聴導犬の育成支援などに活用され、16年、デフピープルはその任務を終了した。
イアーバンク、デフピープルへと受け継がれた活動の影響もあるのだろう、335複合地区内では聴覚障害のある人たちがより豊かな社会生活を送れるようにと、現在もさまざまな事業が展開されている。
2020.09更新(文/柳瀬祐子)