投稿リポート 近藤勇追善供養墓前祭と
土方歳三慰霊碑除幕式

近藤勇追善供養墓前祭と 土方歳三慰霊碑除幕式

会津に桜の便りが届く頃、会津若松ライオンズクラブ(20人)は毎年、新撰組局長・近藤勇の命日に来賓を招き追善供養祭を実施している。しかし今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響により、規模を縮小し会員のみでの開催となった。誠に残念である。一方で、桜花爛漫の季節、難攻不落と言われた鶴ケ城を眼下に、東山の萬松山天寧寺に眠る御霊も喜び笑顔を浮かべていると思えば、好日に感謝するしかないとも思う。

新撰組は、会津藩主・松平容保(かたもり)が京都守護職在任中、会津藩預かりとして攘夷派や倒幕派の摘発を担い活躍した。近藤勇は攘夷派を急襲した池田屋事件で存在が広く知られ、後に幕臣となり大政奉還後の戊辰戦争に参加。慶応4年(1868年)4月千葉県流山で捕らえられ、東京・板橋で旧暦の4月25日(現在の5月17日)に処刑された。

その近藤勇墓石の右側にあった新撰組副長土方歳三の木造慰霊碑が老朽化していた。そこで、当クラブは結成60周年記念事業として、慰霊碑を再建することにした。場所も「刀を抜く時に当たらないように」と左側に移動させ、石造の碑が完成。墓前祭に先立ち、クラブ会長として私が会員の前で慰霊碑の除幕をし「しっかりした石碑が完成しほっとしている。末永く安心して眠ってほしい。未来永劫守り続けなければいけないと思う」と述べて開眼供養を行った。

続いて神田良絋住職の読経、会員の焼香と滞りなく追善供養祭を行った。今回は緊急事態宣言の影響で、近藤勇のご子孫で天然理心流九代目宗家・宮川清蔵氏も参加が叶わず、供養舞を披露頂けずに少々寂しい供養祭となったのが残念だった。来年はこの感染症が収束し、桜の下で関係各位と供養祭を執り行えることを願うばかりだ。

2020.05更新(会長/水野さちこ)