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大和川一斉清掃に先駆けた
クリーンキャンペーン
大阪府・柏原ライオンズクラブ
#環境保全
大和川は奈良の笠置山地を源として大阪湾へ注ぐ流路68kmの一級河川で、流域は奈良県と大阪府にまたがる21市15町2村からなる。上流部は「初瀬川」と呼ばれ、奈良盆地で飛鳥川や佐保川などたくさんの支流を集め、柏原市で石川と合流して、大阪平野に流れ出る。古くは奈良の都と海を結ぶ交通路として利用された。
大和川は1972年以降、全国の一級河川水質ランキングでワースト3に名を連ね、2005~07年にはワースト1位という不名誉な記録を打ち立てた。しかし、下水道整備や生活排水の汚濁を減らす取り組みによって水質は徐々に改善され、この10年余りは環境基準レベルを下回り、今ではアユの産卵が確認されるまでに回復した。加えて、国土交通省と大阪府、流域自治体は23年前から、流域の河川美化や意識の向上、水質改善を図ることを目的に「大和川・石川クリーン作戦」を実施。その先駆けとも言える活動が、柏原ライオンズクラブ(吉田章三会長/97人)が91年に始めた大和川クリーンキャンペーンだ。
1950年代までの大和川は子どもたちの遊び場であり、地域の人々の暮らしと深く結びついた川だった。海の無い柏原の子どもたちは、大和川で泳ぎを覚え、魚釣りをして育った。川ではアユやコイ、ウナギが捕れた。当時は豊かな伏流水を利用した染色業が盛んで、川筋に沿って浴衣地用の木綿が干されていた。周辺の田んぼを潤すのも大和川の水だった。しかし高度経済成長の最中、流域の開発や人口増加、下水道整備の遅れによって、60年代半ばから急激に水質が悪化。護岸整備も進んで川は大きく姿を変えていった。
柏原ライオンズクラブの大和川クリーンキャンペーンを提案したのは、90-91年度の高萩実会長だった。当時を知る友田昌秀元幹事によれば、初めはメンバーから反対の声が上がったという。当時既に結成から25年以上が経っていたクラブには高齢のメンバーが多く、河川敷の清掃作業をするのは体力的に難しいという意見が強かったのだ。そこで、メンバーが指導に当たっていたボーイスカウトや子ども会の力を借り、一緒に作業することにして賛同を得た。
クラブはこの2年前、結成25周年の年にも大和川に関連する奉仕事業を行っている。江戸時代に大和川の流れを人工的に変える付け替え工事に尽力した、中甚兵衛像の寄贈だ。付け替え前の大和川は柏原から北上し、大阪城の北で淀川に注いでいた。その流路を西に変え、大阪湾へ直接流す工事が竣工したのは1704年。度重なる洪水に苦しむ百姓が江戸幕府に願い出てから実現まで、50年近くを要したという。庄屋の家に生まれた中甚兵衛は終始この運動で中心的な役割を果たし、実際の工事でも指揮を振るった。その功績を後世に伝える銅像を市の教育委員会へ寄贈したのだ。そして今度は、幼い頃から親しんできた大和川の環境を守るためにクリーンキャンペーンに着手した。
ところが、計画を進めると思わぬハードルが待っていた。大和川を管理する建設省(当時)の河川事務所が、清掃活動の実施を許可しなかったのだ。「前例が無い」「事故があっては困る」というのがその理由だ。皆が思案に暮れる中、事態を打開したのは、新聞販売店を営んでいたメンバーだった。
「河川事務所を訪ねて、ライオンズクラブは良いことをやろうとしているのに、なぜ反対するのか、と問いただしたそうです。新聞関係者というのが効いたのか、やってよろしい、ということになりました」(友田元幹事)
91年1月27日、柏原ライオンズクラブの大和川クリーンキャンペーンは「君も僕も、わたしも貴方も」をテーマに、総勢380人が参加して実施された。河川敷に生い茂った草の間にはたくさんの空き缶やビニールなどが隠れていて、拾い集めるのには思った以上に苦労した。その報告を高萩会長がクラブ会報に書き残している。
「子どもたちは実に元気よく、キビキビと作業し、本当に有意義なアクティビティであったと深く感謝しております。(中略)昨今、環境保全は社会で一番大きな問題であります。自分たちの労力によりほんの一握りではあっても貢献出来たことは、すばらしいことであったと考えます。その後、設置ゴミ箱を点検してみるとゴミの大半はゴミ箱に入れられており、ほっとしています」
1月の河川敷は寒さが厳しかったためか、翌年からは3月開催にしてクリーンキャンペーンは継続していく。開始から4年、クラブ結成30周年の94年に行われた座談会のやりとりから、メンバーがこの活動に大きな手応えと可能性を感じていたことが分かる。
「大和川に接する各ライオンズクラブが一斉にクリーン作戦を実施するような事業展開が出来ませんか」
「クラブ・メンバーである山西敏一市長は以前に大和川に隣接する市町村に呼び掛けたことがありますが、いまだ実現していません」
「地道にやっていれば地域社会に影響を及ぼし、大きな運動になることもあります」
当時の会長、副会長らが思い描いたこの構想は、思いの外早く実現されることになる。柏原市からクリーンキャンペーンを実施したいという申し入れがクラブにあったのは、それから間もなくのこと。市の主催となると、さまざまな団体や企業が参加して活動は大きく広がった。大阪府も関心を寄せ、開会式には就任間もない横山ノック府知事が出席してあいさつを述べた。
96年11月、大和川水環境サミットに出席した横山府知事は「1万人規模の大和川クリーン作戦を実施したい」と表明し、翌年3月2日に「第1回大和川・石川クリーン作戦」が開かれた。以来、毎年3月第1日曜日に実施されて、流域の各自治体でボランティア団体や企業、市民が一斉清掃に取り組むことになる。もちろん、流域にある各ライオンズクラブも参加する。更に09年からは、奈良県の各市町村で行われてきた清掃活動も連携。現在では、大阪府下9市1町の67カ所で約2万人、奈良県下10市12町1村の60カ所で約1万人が参加する大規模な催しに発展している。
柏原市のクリーン作戦では、市と大阪府、国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所と共に柏原ライオンズクラブも主催者に名を連ねる。開会式では柏原ライオンズクラブ会長と柏原市長があいさつした後、6カ所に分かれて一斉に清掃が始まる。大和川と石川の河川敷には緑地公園、運動公園がいくつも整備されており、日頃サッカーや野球、ソフトボールなどの練習に利用しているスポーツチームの子どもたちも大勢参加。最近では留学生や市内で働く外国人の姿も増えている。
この事業を行う上で苦労する点は何か、担当する環境・市民委員会の堀川範人委員長に尋ねたところ、「大勢集まったのに、ゴミがなかなか見つからないことでしょうか」という答えが返ってきた。かつては粗大ゴミや家電製品などの不法投棄が多かった時期もあったが、近頃はゴミを見掛けることは少ないという。それでも、大雨などで川が増水した後には、河川敷に大量のゴミが取り残される。17年10月末、超大型の台風21号が本州に上陸した後には、大和川河川敷に大量のゴミが散乱した。見るに見かねた柏原ライオンズクラブは、近隣のクラブに呼び掛け、所属する12リジョンの13ライオンズクラブ、2レオクラブが合同で年末特別清掃を実施した。
河川敷のゴミがどんなに少なくなっても、クラブの役割はまだ終わりではないと、吉田会長は話す。
「大和川の水質が急激に悪化したように、環境悪化は短期間に進み、取り戻すには長い時間が掛かります。最近は、日常的に清掃を行う地域の人やスポーツチームも増え、市民の意識が大きく変わったと感じています。この活動の継続は、今後も市民の意識向上に大きな役割を果たしていくはずです」
大和川への深い愛着から始まった柏原ライオンズクラブの活動は、多くの賛同を得て広がり、地域に変化をもたらしている。
2020.04更新(取材/河村智子 写真提供/柏原ライオンズクラブ)