投稿リポート 大空に五輪、大地に五輪
W五輪で聖火を歓迎

大空に五輪、大地に五輪 W五輪で聖火を歓迎

3月20日(金)、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京オリンピック)の聖火が宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地に到着した。大会組織委員会の森喜朗会長、オリンピック金メダリストの野村忠宏さん、吉田沙保里さんらが参加して、到着式が執り行われた。新型コロナウイルスの影響で、式典は大幅に縮小され、無観客での実施となった。

到着式ではブルーインパルスが空に五輪を描くと発表されたのは昨年9月のこと。これを受け、地元・東松島ライオンズクラブは直ちに行動を起こした。基地に隣接するパークゴルフ場に五輪の人文字を作ることと、復興パークゴルフ大会の実施を決め、同じゾーン内の七つのライオンズクラブ(石巻めぐみ野、石巻、石巻中央、女川、石巻日和、石巻桃生、石巻河南)に呼び掛けて合同事業として取り組むことを提案し賛同を得た。パークゴルフ場には貸し切りの条件を満たす200人で予約を入れた。

直ちに村上廣志ゾーン・チェアパーソンを実行委員長に、各クラブの会長を委員とする実行委員会を立ち上げた。3度の会議を経て、一つの輪を40人とし、200人規模でカラー用紙を手に五輪を描くことが決まった。クラブ会員だけで200人を集めるのは困難なため、広く参加を募ることとした。その結果、東松島市のパークゴルフ協会140人を始め、婦人会、社会福祉協議会などから合わせて360人もが登録。とりわけパラリンピックにちなみ、私が出向いて参加を要請した東松島市身体障害者福祉協会からは16人もの参加登録があったのはうれしいことだった。

2月7日、東松島市長の定例記者会見の日。本事業の企画・広報担当の私が一連の決定事項を書面にまとめ、出席した記者全員に配布した。「五輪史上初、大空と大地にW五輪」がうたい文句であった。これにNHKと共同通信社が反応、取材が始まった。特にNHKは熱心で、準備段階から記者の密着取材を受けることになった。

全てが順調に進んでいたところだったが、新型コロナウイルスの勢いが増し、安倍晋三首相が全国小中高校及び特別支援学校に対し3月2日からの一斉休校を要請するに至った。これを受けて3月9日夕刻、緊急の実行委員会を開催し、大会開催の是非について協議。2時間にも及ぶ議論の末、残念ながらパークゴルフ大会も人文字も中止を決定した。代替案として、既に用意したカラー用紙を地面に並べて五輪マークを作ることが了承された。この会議の様子は、NHKテレビで宮城のローカルニュースとして伝えられた。

聖火到着の前日である19日は最終準備。ブルーインパルスは到着予定時刻と同じ11時に空での最終訓練を行っていた。NHKの取材では、上空のブルーインパルスが描く見事な五輪マークと共に、我々ライオンズクラブの準備の様子が放映された。

さて当日、天気予報通り強風が吹き荒れ、浜辺の更地では砂嵐が舞っていた。朝9時、木川田明弘332-C地区ガバナー、石川達雄名誉顧問、村上実行委員長、各クラブの代表者ら関係者が集まり、前日用意した五輪のパイプにカラー用紙を張り付ける作業が始まった。五つの輪のうち二つが出来上がった時点で、聖火特別輸送機到着の連絡が入った。急きょ作業を中断し、日の丸の小旗を持って聖火に向かって打ち振る。それをテレビカメラが追う。予定の11時より1時間も早い到着であった。

強風の中、五輪作りは難航した。地面にはわせたパイプが浮き上がり、テープ留めしたカラー用紙が吹き飛ばされた。この間にも村上実行委員長と東松島ライオンズクラブの土井芳伸会長は、次々にやってくるテレビや新聞記者の取材攻撃を受け続けた。

ようやく五輪が出来上がり、用意した「合同アクティビティ」の看板を運び出して記念写真を撮る。厚い雲が空を覆い、ブルーインパルスは予定時刻を過ぎてもなかなか飛ばない。やっと飛んでも、スモークが強風に流され五輪にならない。空の五輪をバックに地面の五輪と看板を一緒に撮りたいと思っていたが、残念ながら実現しなかった。空に描いた五輪は消えてしまったが、再び飛んできたブルーインパルスの描く美しい直線は、見ていた人に勇気を与えたことだろう。

聖火到着式の終了時刻に合わせ、参加者による看板を囲んでの記念撮影をして、一連の事業は終了した。翌21日朝7時、NHKの全国ニュースで、ライオンズクラブのジャンパーを着た村上実行委員長がパネル五輪に込めた思いを語る様子が放映された。地元紙・河北新報の県内版には、この取り組みが写真入りで掲載された。

残念ながら東京オリンピックは1年延期となってしまったが、規模が大幅に縮小されながらもライオンズ活動の一端が市民に、国民に強く認識される事業となった。

2020.04更新(事業企画・広報担当/東松島ライオンズクラブ・佐々木章)