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母子支援に特化した
災害支援センター"きずな"
大庭きみ子(福岡県・朝倉LC)
朝倉市は2017年7月の九州北部豪雨で甚大な被害を受けました。ボランティアの力を結集して開設した災害母子支援センター「きずな」は、全国で初めて母子支援に特化した避難所ということで、今も多くの自治体や支援団体の方々が視察に来られます。きずなをモデルにして出来ることから始めようと、大学内に母子避難所を作るアイデアや、母子の避難先を定めて協定を結ぶ自治体もあり、被災母子に対する支援が少しずつ動き出していると感じます。避難所としてのきずなは、18年3月末までの8カ月で閉所しましたが、その後も朝倉きずなプロジェクトとして活動を続けています。
九州北部豪雨では1時間に120mlを超える雨が9時間も降り続き、河川が決壊して多くの家屋が流され、田畑に土砂が流れ込みました。私が保育士をしていた時の教え子の一人は、土砂崩れの犠牲になりました。2人目の子どもの臨月に入り実家に戻っていた時に土砂崩れに襲われ、お腹の赤ちゃんと2歳の男の子、母親と一緒に亡くなったのです。本当に辛いことですが、せめて助かった子どもとお母さんのための支援をしようと考えました。
災害発生後、市内には11カ所の避難所が開設され、最も多い時で1200人ほどの方が避難されました。私は全ての避難所に足を運びましたが、体育館の中に100人近い方が身を寄せ、ござや布団、マットを敷いて雑魚寝をしているような状態でした。ある避難所でお話しした女性は、生後1カ月の赤ちゃんと2歳の男の子を連れていました。里帰り中に実家が流されて着の身着のまま避難され、赤ちゃんはあせもがいっぱいで、お乳もあまり飲めなくなっていたんです。男の子は下の子が生まれただけでも精神的に不安定になっている上に災害に遭い、赤ちゃん返りしてお母さんを困らせることばかりしていました。周りの人たちは最初の2日ぐらいは温かく見守ってくれたものの、避難生活でストレスが増える中、苦情が出るようになったそうです。私が避難所を訪ねた時、お母さんはずっと外に立って赤ちゃんをあやしていて、とても辛そうな様子でした。
被災した母子への支援については、災害が起きる度に問題が指摘されています。よく災害弱者と言われますが、数が多い高齢者や障害者の方々に対する支援が優先され、女性と子どもは後回しにされているのが現状です。実際に避難所を見てみると、避難所の計画や運営を担当する人のほとんどが男性のため、女性の意見や要望が理解されにくいと実感します。女性が避難所運営に参画していくことが重要ですし、母子に特化した支援が必要だと考えました。
避難所の状況を見て、赤ちゃんとお母さんだけを別の場所に避難させることは出来ないか、すぐに市に問い合わせましたが、対応は難しいということでした。それならば、自分たちで何とかしようと場所を探し、被害の少なかった甘木地区で休業中の産婦人科医院をお借り出来ることになりました。それが災害から10日後の7月15日のことで、開所日は8月1日と決め、20日に実行委員会を立ち上げました。女性のボランティア団体や、私が市会議員をしている関係で女性議員のネットワークで協力を呼び掛けたところ、福岡県内各地から多くの方々が寄付を寄せてくださり、手弁当で応援に駆け付けてホームページやちらしを作ったり、避難所を回ってリサーチをしたり、準備に当たってくださいました。女性のパワーと団結力はすごい。わずか10日間で開所に漕ぎ着けることが出来たのは、困った人を助けたい、何とかしたい、という思いが一つになったからこそと思います。また、きずなの運営には朝倉ライオンズクラブも継続的な援助をしてくださり、毎月の光熱費や、プリンター、レンタカーの費用を支援して頂きました。
8月1日の開所日には母子1組が入所されました。建物の2階にトイレと洗面台、冷蔵庫が付いた個室6室とツインの部屋3室があり、入所者にはそこでのびのびと過ごして頂きました。元産婦人科医院なので沐浴室も完備され、赤ちゃんとお母さんが安心して過ごせる清潔な環境が整っています。他には、被災時の経験でPTSDを発症した方と、軽度の知的障害があって避難所生活に困難を抱えた方、お二人の若い女性が母親と一緒に入所されました。また大雨で避難勧告が発令された時に、一時避難してきた母子もおられます。センターの運営には、女性団体や保育士、助産師の皆さんがシフトを組んでボランティアで協力して頂きました。PTSDに苦しんで入所した女性は心療内科に通いながら、スタッフや専門家の方々と話したりする中で、元気を取り戻していかれました。
被災した母子の避難所に加え、きずなでは女性ボランティアの拠点、母子の相談・支援の三つを柱として活動しました。
朝倉には全国から5万4000人ものボランティアの方々が駆け付けてくださいました。若い女性ボランティアで車中泊やテントで野営をしている方も多く、朝倉で事件に巻き込まれるようなことがあってはいけないと感じました。そこで、きずなの空室を宿泊施設として女性ボランティアに無料で提供し、ボランティア・センターまでの送迎を行うことにしたのです。延べ143人の女性ボランティアが利用され、中には台湾から来られた女子大生もいらっしゃいます。利用した方々からは「安心してゆっくり休むことが出来た」「疲れが癒やされてボランティアへの活力が養える」と大変喜ばれました。
専門家による無料の相談事業は、曜日ごとに助産師による母子相談とデイケアサービス、元養護教諭による子どもの心や生活相談、人権擁護委員による女性の人権相談、弁護士に法律相談を行い、面談だけでなく電話相談にも対応しました。助産師さんは週2回、赤ちゃんの健康チェックやお母さんたちへの指導を行い、相談後はボランティアが赤ちゃんを見守る間、疲労困ぱいしたお母さんたちにゆっくり休息してもらいました。母子支援に特化したことで、きずなにはミルクや紙おむつ、ベビー服など乳幼児向けの支援物資が集中的に集まったため、必要とする人に効率よく配布することが出来ました。
その他にも、被災した方々と支援者、地域の人たちが集い交流する場として、月1回のイベントを開催しました。小児科医を囲んでの懇談会や、二胡奏者によるコンサートなどです。被災した方々が避難所から仮設住宅に移ってからは、引きこもりを防ぐために集会所でイベントを開いたり、支援物資を配布したりする活動も行っています。
子どもたちの心のケアもとても重要です。避難生活の中では遊べる場所が限られるので、地域で子どもたちの遊び場づくりに取り組む「すくすく朝倉の未来隊!」と連携して「プレーパーク」を始めました。被害が大きかった地区ではまだ断水が続いていた時期でしたが、子どもたちはバケツで水を掛け合い、水害を再現するような水遊びに固執していました。それを見た児童心理学の先生から、すごく良い遊びが出来てよかったですね、と言われたんです。東日本大震災の後、子どもたちはシーツをかぶって津波ごっこをし、熊本地震の後にはダンボール箱を揺らして遊んでいたそうです。子どもは大人と違って恐怖体験を言葉でうまく表現出来ないので、遊びの中で再現して発散させます。そうやって被災後1カ月から2カ月ぐらいの間に怖さを乗り越えないと、思春期以降の人格形成に影響が出る恐れがあるとのことでした。周りの大人は縁起でもないとか、水がもったいないとか言って止めてしまいがちですが、子どもたちには必要なことなんですね。
プレーパークには、熊本地震後に特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会から益城町へ寄贈された「プレーカー」をお借りしました。遊び道具がいっぱい詰まったプレーカーはどこへでも移動して遊び場が作れます。大学生のボランティアの他、小児科の先生など専門家にも入ってもらい、遊びながら子どもたちの状態を見守ってもらいました。
きずなは災害から25日目に開所しましたが、発生直後にはもっと多くのニーズがあったはずです。まずは母子支援の拠点を一日も早く開設することが重要ですが、いざその時になって新設するには大変なエネルギーが必要です。平常時から、災害が起きた時の母子の避難場所を考え備えをしておけば、いち早く安全な場所へ避難させることが出来ます。きずなは18年3月に避難所の役割を終えた後も、災害が起きたらいつでも活動出来る態勢を維持しています。相談事業を継続しながら、昨年12月には必要な人が誰でも利用出来る産前産後ケアハウスをスタートし、地域の社会資源として持続可能な運営と体制づくりを目指しているところです。
2020.03更新(取材・構成/河村智子)