歴史
青少年が考える世界平和:
平和論文コンテスト
1966~1967年
1966年、ライオンズクラブ国際協会第50代国際会長に就任したエドワード・M・リンゼイは、17年にアメリカで誕生したライオンズクラブが創設50周年を迎える年を「平和探求の年」にしようと呼び掛けた。ライオンズクラブのスローガンは「自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全をはかる」で、組織の名称である「LIONS」という単語のつづりをLiberty(自由)、Intelligence(知性)、Our Nation’s Safety(国々の安全)の頭文字に当てはめている。リンゼイ会長は、「世界各地で自由と権利が侵されている。ライオンズが掲げる国々の安全が損なわれようとしている今、我々にはそれを守る義務がある」として、世界中の青少年に平和について考え実現する方法を提案してもらおうと「平和論文コンテスト」の開催を発表した(『ライオン』誌66年9月号)。
戦後20年を経た60年代、日本は高度経済成長の真っただ中にあったが、世界的には冷戦状態の米ソが核開発にしのぎを削り、ベトナム戦争勃発、ベルリンの壁建設、第三次中東戦争勃発など平穏からは程遠く、多くの人々が第3次世界大戦や原水爆が使用される日が来ることを恐れていた。そこで半世紀にわたり数々の事業を成し遂げてきたライオンズが、この先更に意義ある分野を開拓・推進するに当たり、人類が求め続け今なお未解決である世界平和の達成に焦点を当てたのである。
ただちに当時ライオンズクラブが結成されていた世界133カ国の、2万のライオンズクラブに次の応募要項が配布され、参加が呼び掛けられた。
<募集要項>
テーマ:「平和は可能である(Peace Is Attainable)」
方針:世界平和を実現するためのアイデアの探求、及びその計画を推進させる願望へと、人々の注目を集中させる
目的:1.世界平和の実現可能な方法を発見すること
2.世界平和の課題へと人々の注目を集中させること
3.自由ということの真の意義を強調する
資格:14歳~22歳未満の男女青少年
賞:世界第1位=2万5000ドル(約900万円)の教育費及び(または)職業助成金
世界地域別(8地域)=賞金1000ドル、1967年シカゴ国際大会への招待、メダルと盾
その他=複合地区、準地区、クラブ単位の入賞者にも盾や表彰状を贈呈
厚生労働省の賃金構造基本統計調査が開始された68年の大学卒初任給が3万8000円なので、賞金はとんでもない高額である。だからという訳ではもちろんないが、日本ライオンズは結成15周年を迎えることもあり、平和論文特別委員会を立ち上げ会員から100円ずつの拠出金を集めて、大々的なPRを開始した。全国35のラジオ局から計7日間49回にわたり20秒のスポットPRを流した他、日本独自のポスター4万4000枚とチラシ19万5000枚を作成・配布。また時の文部大臣にもコンテストの意義を説き賛同を得て、全国の学校への働き掛けを行った。各クラブでも、より多くの青少年に参加してもらうにはどうすればよいか頭をひねった。結果、日本中から集まった論文の総数は4万点近く。最多応募数を得た愛知県・蒲郡ライオンズクラブは841点、全国平均でも1クラブ当たり34点に上った。全体の男女比はほぼ半々。年代別では中学生の応募が最も多く53%、高校生34%、大学生4%、社会人5%だった。各クラブから選ばれた1点が、日本を14に分割した地区に送られ、各地区が1点ずつ選抜した計14点の中から、拓殖大学2年の佐原昌弘さん(21歳)が日本の1位に輝いた。
東京虎ノ門ライオンズクラブで審査に当たった武藤富男明治学院院長は、その感想をキリスト教新聞に寄せている。
「(抜粋)作品には次のような共通点があった。1、戦争反対、軍備否定、平和憲法擁護。2、ベトナム戦争早期解決への願望。3、世界警察軍創設、世界連邦発展への期待。4、政治経済の主義の衝突が戦争の原因となる。5、貧困解消、自由享有が平和を実現する。6、人間に内在する悪性の矯正が平和実現の前提要件。これらには、彼らが純粋な動機で平和を求める気持ちが表れている」(67年4月号)。1位の佐原さんもこれらに言及し、戦争が無い状態の維持という静的・消極的な平和を超え、各国の持つ全ての科学技術、人的、物質的資源を動員して展開する動的・積極的平和を求めるべきだと主張した(67年6月号)。
佐原さんの論文は英訳され、日本が所属する東洋・東南アジア地域の審査へと進み、そこでも1位に輝いた。そして、世界八つの各地域を勝ち抜いてきた8点の論文による最終審査に進んだ。審査員に名を連ねたのは世界的に著名な6人、ライオンズクラブのメンバーでもあったアイゼンハワー元アメリカ大統領、フィゲーレス元コスタリカ大統領、ロムロ・フィリピン大学学長(元国連総会議長)、ラスク元アメリカ国務長官、ベルンハルト・オランダ皇子、そして湯川秀樹京都大学教授だ。審査の結果、世界第1位の栄冠はカナダの高校生ラッセル・ウォデルさん(18歳)に贈られた。佐原さんやウォデルさんら世界8地域の入賞者は、67年にアメリカ・シカゴで開催されたライオンズクラブ国際大会に招待され、共に平和を求める若者同士交流し、表彰を受けたのである。
この論文コンテストで全世界から応募された論文の総数は、10万8946点に上った。日本の応募作品数がその三分の一を占めたわけだ。ライオンズクラブが50周年を迎えたこの年は、世界中の会員と青少年、恐らくその友人や家族も共に平和について探求した一年となった。そして「平和は可能である」というテーマは到達すべきゴールとして、今もライオンズが目指す道の先にある。
2020.01更新(文/柳瀬祐子)