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南三陸町からライオンズへ
震災復興支援の感謝状贈呈
日本ライオンズ
東日本大震災から8年8カ月を迎えた11月11日、震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の佐藤仁町長が、復興支援に協力した日本ライオンズへの感謝状を携えて東京・八重洲の日本ライオンズ事務所を訪れ、一般社団法人の識名安信理事長と石原英司副理事長に感謝状と記念品を手渡した。佐藤町長はこの6月から、復興御礼のため全国行脚をしており、今回の日本ライオンズへの感謝状贈呈もその一環。
感謝状贈呈式で佐藤町長は
「10年間の震災復興計画を完遂出来る見通しが立ちました。ここまで来られたのは全国、そして世界中の皆さんからご支援頂いたおかげです。『かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め』と言われますが、感謝の気持ちを何とか皆さんにお届けしたいと考えました。そこでまず職員を派遣してくださった自治体は全て回ろうと考え、それで100件。次に各課の課長から今まで受けた支援をリストアップしてもらいました。これが約3000件に上り、その中から特に功績があった個人や企業、団体、それに支援を頂いた国の大使館など約120件を選ばせて頂き、震災10年となる2021年3月までに、北は北海道から南は沖縄まで全国220カ所を訪問させて頂くことにしました」
と説明された。
南三陸町は東日本大震災で最大高18m超の大津波に襲われ、繰り返し襲来した津波は海岸から4km以上離れた内陸まで到達。当時の世帯数の約62%が半壊以上の被害を受け、震災で亡くなった方は620人、いまなお行方不明の方は211人に上る。
南三陸町は昔から津波に度々襲われている。東日本大震災の約50年前の1960年5月には、南米チリ中部で発生した巨大地震により、地震発生から約22時間後に最大で6mを超える津波が三陸海岸沿岸などに襲来。南三陸町(当時志津川町)では41人の方が犠牲となった。そうした経験から、町では津波対策を進め、8mの防潮堤を建設し、行政庁舎の隣には高さ約12m、鉄筋3階建ての防災対策庁舎を建てた。
2011年3月11日、東北地方太平洋地震の激しい揺れが収まると、佐藤町長はこの防災対策庁舎へ移動。津波警報では当初6m、次いで10mと発表されたことから、行政庁舎で勤務していた約130人のうち53人の職員も、防災庁舎へ移り屋上へ避難した。が、津波は予想を超え、庁舎屋上の床上2mの高さまで押し寄せ、多くの職員が濁流にのまれ犠牲となった。生還したのは佐藤町長を含め10人のみ。それらの人たちは、屋上に設置されていたアンテナのポールや、鉄骨製階段の手すりにしがみつき、命からがら生還することが出来た。
南三陸町には、チリ津波の際に仙台のライオンズクラブが実施した支援活動がきっかけとなり、志津川ライオンズクラブ(現南三陸志津川ライオンズクラブ)が誕生した。佐藤町長によると、「チリ津波の翌年に作られた小学生の文集に『大人になったらライオンズクラブのおじさんのような立派な人間になりたい』という一文があった」という。当時9歳でライオンズの学用品を受け取った一人だったであろう佐藤町長も、95年にライオンズクラブに入会、クラブが40周年を迎えた01年にはクラブ会長を務めている。
そんな縁もあり、南三陸町へは震災直後から多くのライオンズクラブが支援に入った。南三陸志津川ライオンズクラブは震災で会員1人を失い、残った33人のうち自宅と事業所の両方が全壊した会員31人、いずれかが全壊した会員2人と、全員が被災。そのため、復興支援活動の拠点として全日本のライオンズにより、仮事務所兼支援センターとしてコンテナハウスが設置された。6月2日には震災後初のクラブ例会がこのコンテナハウスで開催されたが、7月からの337-D地区(鹿児島・沖縄)ガバナー就任を前に被災地視察のため南三陸を訪問していた識名理事長がそれを傍聴。そこで、ゴングや万国旗などクラブ例会の備品全てが津波で流失したことを知り、その場で備品一式を手配。全沖縄ライオンズクラブの合同事業として南三陸志津川ライオンズクラブに寄贈した。
震災翌年の12年4月に開催された南三陸志津川ライオンズクラブ結成50周年記念例会には、こうした復興支援活動で同クラブとつながりが出来た全国14地区、24のライオンズクラブが参加。その中にはもちろん、沖縄県石垣島から駆け付けた識名理事長の姿もあった。識名理事長は記念例会に先立ち、午前中には南三陸町戸倉の仮設住宅を沖縄のメンバーたちと訪問。寸劇を披露したり、沖縄菓子を配ったりしながら、被災された方たちと交流した。更に16年7月に開催された南三陸志津川ライオンズクラブ結成55周年記念例会にも識名理事長は参加し、佐藤町長を始め南三陸のメンバーたちとの絆を深めた。
感謝状贈呈式を終え、「もちろん60周年にも参加しますよ。ちゃんと人数に入れておいてくださいね」と話す識名理事長に、佐藤町長は「その頃には復興がかなり形になっているはずです。楽しみにしてください」と応じていた。
2019.11更新(取材/鈴木秀晃)
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