テーマ 100年の計で挑む
富士山の緑化活動

100年の計で挑む 富士山の緑化活動

日本を象徴する山、富士山は、2013年6月に「信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録された。その優美な姿は古来人々の崇敬を集め、数々の文学作品や絵画に描かれてきた。近年は外国人訪日客の増加もあって、毎夏30万人近い登山客が富士山の頂上を目指す。日本一の山の頂きに立ちたいと憧れを抱く人が多い一方、富士登山経験者の中には緑が少なくて面白みに欠ける、と言う人も少なくない。確かに、登山口を出発して間もなく樹木が姿を消すと、あとは延々と土と岩ばかりの風景が続く。富士山に四つある登山ルートの登山口はいずれも五合目にあり、その五合目付近が富士山の森林限界に当たっているのだ。

ただし、同じ五合目でも高度はそれぞれ異なり、最も高い富士宮ルートは2380m、最も低い御殿場ルートは1440m地点にある。他の三つの登山口に比べて低位置にある御殿場口新五合目付近が森林限界になっているのは、江戸時代中期に起こった噴火の影響だ。1707(宝永4)年に発生した宝永大噴火によって森林が消失し、森林限界が引き下げられたのだ。崩れやすい火山砂れきで覆われた斜面では、しばしば「雪代(ゆきしろ)」と呼ばれるスラッシュ雪崩(大量の水気を含んだ雪が雪崩を起こす現象)が発生し、森林の再生を阻んできた。

御殿場口に緑をよみがえらせる手助けをしようと、御殿場ライオンズクラブ(芹澤卓司2018-19年度会長/96人)が動き出したのは1991年。事業に着手するために調査検討委員を置いて、営林署や植物学者に相談しながら方法を探った。御殿場口付近の砂れき地にはバッコヤナギやイタドリ、フジアザミがいち早く進出し自生していた。そこでバッコヤナギの枝を採取して挿し木をし、苗を育てて御殿場口一帯に植える方法を採ることになった。生命力が強いバッコヤナギが定着し、他の植物が生える土壌をつくることを期待した。クラブは早速、苗の育成に着手し、92年6月に第1回としてバッコヤナギとイタドリの苗木400本を植えた。以来、毎年6月第1水曜日の早朝に「富士山例会」を開き、メンバー総出で植樹を行っている。

「100年の計 富士山に緑を返そう」をスローガンに掲げたこの活動は、静岡県や御殿場市、御殿場口付近の土地を管理する玉穂財産区の協力を得ながら進められた。99年には御殿場市立西中学校から協力の申し出があり、それからは毎回、同校の2年生が植樹に参加している。毎年10月、ライオンズ・メンバーが御殿場口付近でバッコヤナギの枝を採取し、苗木用として西中学校に届ける。それを1年生が苗木に育て、2年生になった翌年6月に富士山で植樹を行うのだ。植樹には他にも、五十雀山歩会や陸上自衛隊東富士駐屯地の関係者、更には友好クラブの神奈川県・横浜梅櫻ライオンズクラブのメンバーも参加し、毎回250人から300人で実施する。御殿場ライオンズクラブが今年6月までに植樹した苗木の本数は、バッコヤナギ5万1387本、フジアザミ1万3940本、イタドリ2800本に上っている。

事業開始から29年にわたる歩みの中には、多くの困難があった。そもそも計画段階から、クラブの周辺には植樹によって緑の復元を目指す取り組みの実現性を疑問視する声もあった。開始から5年目には大規模な雪代が発生し、それまでに植えた苗木や、土留めに設置した丸太や杭のほとんどが流されてしまい、マスコミの批判にもさらされた。それでもクラブは諦めることなく植樹を続け、98年には県緑化功労賞を受賞。御殿場ライオンズクラブの後に続き、富士山緑化の取り組みは他の民間団体にも広がっていった。

開始当初の調査検討を担当した勝又三郎元会長は、活動を続けるうちにだんだんと周囲が理解してくれるようになったと目を細める。ところが3年前、その努力を無にするような出来事が起きた。やっとのことで定着したフジアザミが、根こそぎ盗掘されてしまったのだ。前年秋、メンバーが140本の株を確認していたが、春になってその場所を訪れると、スコップで掘り起こしたような穴が点在していた。そうした数々の苦難に遭いながらも、クラブが歩みを止めることはなかった。

御殿場ライオンズクラブの努力の成果は、ここ数年ではっきりと目に見えるようになってきた。とはいえ、植樹したバッコヤナギが大きく成長したわけではない。運良く着生して4~5年が経った株でも、過酷な生育条件の下で地を這うように枝を伸ばしているだけだ。

「バッコヤナギは地中にしっかりと根を張って土砂の流れを止め、葉を落として腐葉土をつくります。そこに周辺に自生するカラマツの種が着いて成長し、緑が増えているのです」
植樹事業を担当する環境保全委員会の天野栄太郎委員長は、バッコヤナギの働きをそう説明する。その言葉の通り、以前の写真と比較すると、地面がむき出しだった植樹地にカラマツの群落が育っているのがはっきりと分かる。

写真上は08年6月に撮影、19年6月に同じ場所で撮った写真ではカラマツの群生が見られる(写真提供:御殿場ライオンズクラブ)

この植樹事業を継続するためには、毎年1500本から2000本のバッコヤナギの苗木を確保しなければならない。クラブは当初から専用の圃場を設け、秋に採取した枝を畑に挿して1年半かけて育てていた。ただ、この方法では植樹前に畑から苗木を掘り出してポットに移し替える必要がある上、苗木が高さ20~30cmと大きいため、植樹場所まで斜面に一列に並んで手渡しで運び上げなければならず、その作業が大きな負担となっていた。

そんな中、2013年に種苗販売会社を経営する黒﨑一嘉さんがクラブに加わったのを機に、苗木育成に大きな進展が図られた。黒﨑さんは専門家の立場から作業の見直しを提案。苗の育成を畑から育苗ポットに切り替えて移植する手間を省き、更にビニールハウスを利用することで育成期間を1年半から半年に短縮した。またそれによって苗が軽量化されて植樹の際に一人で数本の苗を運べるようになり、作業効率も格段に良くなった。

今年の植樹は6月5日に実施。その前日には、環境保全委員会のメンバーが、クラブで育てた2000本と西中学校で育てた476本の計2476本をトラックに積み込んだ。今年の苗は、3月になってビニールハウスから出した後に強い寒気に見舞われ、生育状況の悪化が心配されたが、何とか例年並みの約2500本を用意することが出来た。植樹当日の朝は曇天で風が弱く、御殿場口新五合目からは雪を残した富士山頂が目の前に緩やかな稜線を見せていた。

この日は西中学校から2年生の生徒と教諭94人、五十雀山歩会など地域の協力団体、御殿場ライオンズクラブのメンバーを合わせて257人が参加。新五合目駐車場から200~300mほど登山道を登った場所にバッコヤナギの苗を補植した。一帯は黒い砂に覆われて足場が悪く、一歩進めるごとに足が沈み込んでしまう。ライオンズ・メンバーは植え付けの補助を行う補植係、植樹した場所を守るためにロープを張る登山道整備係、苗木採取係、昼食用の豚汁を調理する昼食係などに分かれて、作業に汗を流した。

「これまで29年間にわたり植樹を続けてきましたが、合い言葉の『100年の計』にはまだまだ遠く、今後も更に緑が増えるように活動を続けていきたい」
芹澤会長はそう話す。共に植樹作業に取り組んだ中学生たちが、後に続いてくれることを願いながら、御殿場ライオンズクラブの地道な活動は続いていく。

2019.08更新(取材/河村智子 写真・動画/宮坂恵津子)