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角膜移植を推進するため
山形の献眼運動を牽引
山形中央ライオンズクラブ
#視力保護
日本におけるアイバンク運動はライオンズクラブが牽引している。1958年に角膜移植に関する法律が出来ると、早くも福岡ライオンズクラブが献眼登録活動を開始。61年には岡山県の三木行治知事(当時/岡山ライオンズクラブ)が「耳には音を! 目には光を!」のスローガンを掲げ献眼登録運動を提唱、自ら県下の登録第1号となった。県内のライオンズクラブはこれに感銘を受け、金光ライオンズクラブが日本のライオンズとしては初の会員全員登録を実現させるなどした。また、東京では東京関東ライオンズクラブを中心とした6クラブがライオンズ・アイバンク協会を発足させた。
こうした流れの中、63年に順天堂大学と慶応大学に国内初のアイバンクが設立され、その後1年ほどの間に10のアイバンクが各地に誕生した。更にライオンズクラブ主導によるアイバンクの設立も相次いだ。69年には中国・四国地方のライオンズが年次大会記念事業として香川県にアイバンクを開設。70年代には各地の有志ライオンズを中心に、アイバンク運動推進全国大会が開催され、運動は全国へと波及する。そして77年栃木県、78年三重県、79年山形県と、ライオンズ主導のアイバンクも次々と設立され、79年からは九州・沖縄のライオンズが合同で5カ年計画により各県にアイバンクを設立した。
79年に設立された山形県アイバンクは、山形中央ライオンズクラブ(堀越敏明会長/43人)の熱心な活動によって生まれた。それまでも山形県では米沢、米沢中央両ライオンズクラブを中心に献眼推進活動が展開されていた。75年1月には米沢中央ライオンズクラブの植木正雄元会長(享年61)が角膜を提供。332-E地区(山形県)初の献眼者となったが、当時は山形県にアイバンクはなく、米沢市内のライオンズは福島県アイバンク(現福島県臓器移植推進財団)が置かれていた福島県立医科大学附属病院と連携していた。
山形中央ライオンズクラブが、県内でのアイバンク設立を目指して動き始めたのはこの頃のこと。同クラブはプロジェクト・チームを作り、県内実態調査を実施したり、宮城県の東北大学アイバンクを視察したりして、78年に設立準備委員会を発足させた。そして県内全ライオンズクラブの協力を求めながら、山形県、山形県医師会、山形大学医学部と折衝を続けると共に、332-E地区名誉顧問の4人に設立発起人になってもらい、アイバンク設立に向けて路線を整えた。
その後、母体となる財団法人設立を優先し、1000万円の基金を目標に募金活動を展開。79年12月、県、医師会、山大医学部、ライオンズの4者による協力態勢が実って、財団法人山形県アイバンクが設立認可された。そして80年4月1日から業務を開始。その2カ月後の6月3日、設立発起人の一人村山仙次郎さん(山形ライオンズクラブ/享年77)が亡くなり、その遺志に従って献眼。翌日、目の不自由な方2人に提供され、山形県アイバンク初の角膜移植手術が行われた。
こうして発足した山形県アイバンクに対して、県内のライオンズクラブは登録推進活動を展開して後押し。が、当初は献眼登録者の8割がライオンズクラブの会員とその家族や、会員が経営する事業所の従業員で占められ、一般の認識は非常に浅いものだった。
そんな状況下の85年夏、山形中央ライオンズクラブがより一層、献眼運動に注力することになる出来事があった。東京芝浦ライオンズクラブに所属し献眼運動に力を入れていた竹内三郎さんが、蔵王にある福祉施設を訪問する途中、山形におけるアイバンクの動向を聞くため山形中央ライオンズクラブの会員と面会。その別れ際、竹内さんは「山形の献眼推進活動の一助に」と、その会員に封筒を手渡した。その日はちょうど山形中央ライオンズクラブの例会日だったため、会員はその足で例会に出席。席上早速この旨を報告し、封筒を改めると10万円の現金が入っていた。初対面の人間を信じ大金を託してくれた竹内さんの行為に同クラブの会員たちは深く感動し、その場で献眼登録を強力に推進することを決議。周辺のクラブにも呼び掛けて合同で献眼登録推進キャンペーンを展開した。
山形中央ライオンズクラブではその後も献眼運動に力を入れ、高校でのアイバンク出前授業やアイバンク例会などを実施。毎年8月4日には、山形市中心街で行われる花笠サマーフェスティバルにブースを出し、キャンペーン活動を行っている。ブースでは、クラブで考案した「独眼竜ダーツゲーム」や水ヨーヨー釣りなどのコーナーを設けると共に、チャリティー・バザーやリサイクル・フリーマーケット、アイバンク募金活動を実施。また、ブース前ではアイバンクと臓器移植推進のPRリーフレット配布も行っている。
更に2014年には山形霞城ライオンズクラブと共同でLCIF交付金を得て、角膜内皮移植のための「マイクロケラトーム」を山形県アイバンクへ寄贈した。これは角膜のうち、一番内側にある内皮細胞と上部の層を切り分ける機械で、切り分けた角膜はそれぞれ別のレシピエント(患者)に移植することも可能になる。
角膜は上皮層、実質層、内皮層から成り、上皮層と実質層の間にボウマン膜、実質層と内皮層の間にデスメ膜という二つの膜がある。かつては上皮層、実質層、内皮層の全てを取り替える全層角膜移植が行われていたが、現在は適応疾患などに応じて、上皮層と実質層を取り替える表層角膜移植や、内皮層のみを取り替える角膜内皮移植などの手術も可能になってきた。
角膜は中央部で約0.5mmと非常に薄く、切り分けるのは当然困難だ。それを実現させる機器がマイクロケラトームで、文字通りマイクロ(ミリの0.001倍)単位で角膜層を分けることが出来る。角膜内皮移植は、患者の角膜を外すことなく角膜周辺部に開けた数ミリの切開創から内側の内皮層のみを取り除き、マイクロケラトームによって作成した内皮層を移植する。この移植は縫合をせず、移植片の下にガスを注入し、その浮力を利用して移植片と患者の角膜とを接着させる。上皮層と実質層に触れず、縫合の必要がなく、手術による乱視が起こらないなどメリットが大きい上、表層部を別の患者に移植することも可能となる。そのため、角膜内皮移植はさまざまな意味で有効な治療法として大きな期待が寄せられており、山形中央ライオンズクラブでは献眼登録者を増やし、より多くの人に光をもたらすため、更なる献眼運動の推進を誓っている。
2019.05更新(取材/鈴木秀晃 写真・動画/田中勝明)