歴史
レオクラブ:
若者よ、悩め、燃えよ!
1968年~
レオクラブは、ライオンズクラブの青少年健全育成を目的とした奉仕活動の一つである。青少年にさまざまな経験を通じて、リーダーシップを育み、地域及び国内、国際社会の一員として成長するための機会を提供する。「LEO」は、レオクラブのモットーLeadership(指導力)、Experience(経験)、Opportunity(機会)の頭文字を取ったものだ。
世界で最初のレオクラブは、1957年にアメリカ・ペンシルベニア州に誕生した。その10年後の67年にはライオンズクラブの国際プログラムとなり、翌68年に日本で最初の、世界では18番目となる高知レオクラブが結成された。この頃の日本のライオンズクラブは急成長中で、その勢いにも引っ張られてレオクラブも10年間で約200クラブ、レオクラブ・メンバー(レオと呼ばれる)は5000人にまで増えた。以来、レオは日本各地でさまざまな活動を続けてきた。ここでは、初期の頃のレオクラブについて振り返ってみたい。
高知ライオンズクラブでは、レオクラブが67年に国際プログラムになる前から、「ジュニア・ライオンズクラブ」を作ってはどうかという検討が始まっていた。だから国際協会が発表した同プログラムは願ったりかなったりといったもので、とんとん拍子で結成にこぎつけた。高知レオクラブの基盤となったのは、幼稚園から短大までを擁する私立高知学園の高等学校で、学園長が高知ライオンズクラブ・メンバーであったことから全面的な協力を得ることが出来た。
この高知レオクラブ、規格外のスタートダッシュを切っている。メインとなる活動の一つは、登校時の交通整理だった。活動日は日曜祝日を除く毎朝8時~8時半。学校近くや駅前で、児童生徒だけでなく一般市民にも右側通行を呼び掛けた。「交通戦争」真っただ中のこの時代、大いに感謝され高知市市民憲章の推進協議会から表彰されたというのもうなづける。他にも市内清掃、鏡川の水質調査、海外レオクラブとの文通、高知ライオンズクラブの奉仕活動の手伝いなども行っていた。更に71年には高知市内の4ライオンズクラブが設置したばかりの交通安全こどもセンターで、毎日曜祝日に子どもたちにゴーカートの交通指導も始め、老人ホーム訪問で披露するためギターと歌の練習にも着手した。高校生が一体いつ勉強し、遊び、休んでいたのか、心配になるほどだ。そんな彼らの悩みといえば、水質検査器具と老人ホーム訪問で使うベースギターのどちらを購入するかであるとか、学校の課外活動として承認され翌年度からもらえることになった活動費が、学校とレオクラブの会計年度が異なるため、どう扱ったらいいかといったことだった。
その後、レオクラブは順調に増えていく。『ライオン誌』71年4月号には、同年1月末で全国に45クラブが誕生し、レオ・メンバーが1200余人になったこと、「各レオクラブの活動状況」として、高齢者宅や老人ホームの訪問、市内清掃、街頭募金、外国人留学生との交流、リーダーシップ研修、ライオンズクラブの活動の手伝いなどが紹介されている。とはいえ、いずこもただ順風満帆に進み続けたわけではない。レオクラブを結成しようとする各地のライオンズ・メンバーにとっても、レオとして参加する青少年にとっても初めてのことばかり。手探りで一つずつ壁を乗り越えていったのだ。
静岡県・清水レオクラブの三鬼治さんは、レオクラブ会長を務めた1年間を振り返って、次のような反省点を挙げている(72年12月号)。「軽い気持ちで入会したが、これまで奉仕について考えてこなかったことに気付かされた」「小学生から大学生まで年齢差のあるメンバーが一緒に活動していくことの難しさ」「テストや受験との両立の難しさ」「財源の不足」「レオクラブ同士の横のつながりの少なさ」。これはどのクラブ及び会長にも、ある程度共通することだろう。他にも5人のレオたちによる座談会(76年1月号)では、進学による離郷、仲間同士の交流と社会奉仕とのバランス、ライオンズの指導下にあることとレオクラブの自主性とのバランスといった問題点も挙げられた。と同時に、あるレオは座談会の中で「結成3年目ぐらいに苦境があり、それを乗り越えられれば大丈夫」とも言っている。つまりそれは、メンバー個々人が3年間でさまざまな経験を通して成長し、問題を解決する力を身に着けるから、苦境を乗り越えられるということではないだろうか。ならば問題の発生も含めて、青少年育成の目的にかなっていると言える。
78年3月、日本にレオクラブが誕生してから10周年を祝う全日本レオ・フォーラムが、高知市で開催された。全国180のレオクラブから代表1100人と、指導に当たっているライオンズ・メンバー500人が集った。北九州からやってきた17歳のレオは、「今の若者はエネルギーにあふれているが、目に光が無い。レオ活動を通じて光を取り戻そう」と訴えた。高知レオクラブの初代OBは、せっかく培われたレオ精神がクラブを卒業することによって宙に浮いてしまうことを嘆いた。あるライオンズ・メンバーは、青少年育成に直接的、継続的に関与するレオクラブこそ、ライオンズクラブの奉仕活動の中でも最高のものだと強調した。フォーラムは、祝典というよりは体験と意見の発表に明け暮れ、壇上と会場の間で活発なやりとりが交わされる熱気あふれるものになった。
2019.04更新(文/柳瀬祐子)