テーマ
名勝・天橋立で
海水浴客の安全を守る
京都府・宮津ライオンズクラブ
#人道支援
宮津湾の青い海を二つに隔てるように伸びる1本の道。自然が作り出した天橋立の類いまれな造形美は、古来人々を魅了してきた。長さ3.2km、狭い所で幅20mほどの砂州は、丹後半島を流れる河川から流出した土砂が沿岸流によって運ばれて細長く堆積したもので、約4000年前に海面に現れたと考えられている。
天橋立に代表される白砂青松の景観は、平安の昔から詩歌や絵画の主題とされてきた。その美しい海岸風景は全国的に失われつつある。埋め立てなどの臨海開発の他、河川の護岸工事やダム建設で流出する土砂が減り、防波堤などで海中の土砂の流れが遮られて、砂浜までたどりつかなくなったためだ。国土交通省によれば、海浜の浸食によって年に160ha(東京ドーム約34個分)の国土が失われているという。天橋立でも砂浜がやせ細って存在が危ぶまれる事態になり、昭和20年代からさまざまな対策が講じられてきた。1981年からは周辺の防波堤に堆積する砂を運んで天橋立の付け根付近に投入し、天橋立全体に行き渡らせる工法を実施。この国内初のサンドバイパス工法で、砂浜の浸食を食い止めることに成功した。一方、白砂を彩る松並木では、2001年に大規模な松枯れ被害が発生し、更に05年には台風によって約200本が倒れる被害が発生。行政と市民ボランティアらが協力して保全活動に取り組み、地域の美しい景観を未来に残そうと努力が続いている。
その天橋立にある海水浴場で、宮津ライオンズクラブ(多賀久雄会長/34人)は海浜パトロールの活動を行っている。天橋立海水浴場があるのは、京都丹後鉄道天橋立駅がある文珠地区。「文珠さん」と呼ばれて親しまれる智恩寺の門前から、小天橋(廻旋橋)、大天橋の二つの橋を渡ると、松林の向こうに白い砂浜が広がっている。毎年、学校が夏休みに入って海水浴客が増える7月末から8月初め、宮津ライオンズクラブは砂浜に設置したテントを詰所として活動する。今年は7月初めの西日本豪雨で宮津市内でも土砂災害が発生し、宮津ライオンズクラブでもメンバー5人が被害を受けた。またこの豪雨災害の影響で、天橋立海水浴場への海水浴客の数は例年に比べて大きく落ち込んでいるという。そうした状況に加えて、記録的な猛暑となったこの夏も、クラブは7月25日から8月3日までの土日を除く8日間、例年通りに海浜パトロールを行った。
宮津ライオンズクラブが海浜パトロールを始めたのは、結成4年目の1965年7月。その翌年からは天橋立での清掃活動も行い、以来、地域の貴重な財産である天橋立での奉仕活動に重きを置いてきた。パトロールを始めた当時の天橋立海水浴場は大勢の海水浴客が訪れて大変なにぎわいだった。小学校の臨海学校や企業の慰安旅行など、近畿圏内各地から訪れる団体客も多く、浜辺には色とりどりのパラソルがびっしりと並んで、芋の子を洗うような混雑ぶりだったという。しかし近年はレジャーの多様化などによって海水浴客が減少し、かつてのにぎわいは見られなくなった。そこで地元商店主などで作る天橋立文珠繁栄会は天橋立の夏を盛り上げようと、砂浜を幻想的な光で浮かび上がらせ、駅前通りを行灯や和傘で飾るライトアップや、ライブ・イベントなどを企画。天橋立砂浜ライトアップは今年、旅行情報誌『じゃらん』が実施した「この夏行きたい絶景」アンケートで堂々第3位にランクインし、最近では外国人旅行客の数も増えている。
天橋立海水浴場には監視員と連絡員が常駐し、週末にはボランティアのライフセーバーも加わって監視に当たっているが、平日はライフセーバーがいない。そのためライオンズクラブは平日の午後1時半から4時まで、1班3人のチームで海水浴客を見守っている。
「海浜パトロールの活動は全メンバーが1回ずつ担当するよう、ローテーションを組んで行っています。急な用事で出られないメンバーがいる場合には他のメンバーと交代するなど、全員が協力して取り組んでいます」
こう説明するのは、この事業を担当する茶谷哲委員長。茶谷委員長は老舗旅館茶六本館の主人にして板前でもあり、夏の休暇シーズンは多忙な日々が続く。メンバーは皆それぞれに忙しい時間をやりくりしながらパトロールに当たっているのだ。取材当日の7月26日も、班長を務める予定だった僧侶メンバーが出られなくなり、急きょ多賀会長が交代。松浪健さん、三野孝行さんと3人でパトロールを担当した。
宮津ライオンズクラブのパトロール詰所には、双眼鏡にラジオ、薬箱、傷口を洗い流したりするための水や緊急時の連絡先一覧、掃除用具などが用意されている。当番のメンバーたちは詰所から波打ち際を見守り、清掃を兼ねたパトロールを行う。普段は白い砂が美しい天橋立海水浴場だが、この日は西日本豪雨の際に川の上流から押し流された多くの木々が砂浜に打ち上げられていた。
最高気温35度を超えたこの日、詰所には「貸しパラソルはどこ?」「空気入れはない?」といった問い合わせが数件あった他に、宮津ライオンズクラブ主催の野球大会に昨年出場した中学生野球部のグループが立ち寄ったぐらいで、平穏無事にパトロールを終えた。入会以来、長年この海浜パトロールを続けてきた多賀会長は、これまで深刻な事故に遭遇したことはなかったと話すが、過去にはけがで出血した海水浴客のために救急車を呼んだケースもあったという。
「我々の活動で一番大事なのは、海水浴客の皆さんに安全に楽しんで頂けるように見守ることです。私の当番の時にはまだ接したことがありませんが、最近は外国から訪れるお客さんが多くなってきたので、外国人客への対応も増えてきています。8月に入ると増えてくるのは、クラゲに刺された人への対処です。医療行為は出来ませんから、我々の経験に基づいて水洗いして消毒するといった応急手当も行っています」(多賀会長)
宮津ライオンズクラブでは海浜パトロールの終盤に当たる8月第1木曜日を早朝例会として、天橋立の松林で清掃を実施する。また、毎年4月に市民2000人が参加して清掃を行う「クリーンはしだて1人1坪大作戦」や、12月の「迎春天橋立一斉清掃」にも参加している。古里の貴重な景観と、海水浴客の安全を守る宮津ライオンズクラブの奉仕活動は、半世紀を超えて受け継がれていく。
2018.09更新(取材/河村智子 写真・動画/宮坂恵津子)