取材リポート 塩竈みなと祭で焼き鳥販売

塩竈みなと祭で焼き鳥販売

7月16日、宮城県塩釜市にあるマリンゲート塩釜周辺で第71回塩竈みなと祭が開催された。これに先駆けて15日には花火大会を含む前夜祭が行われ、出店と共に大いににぎわった。

ここに出店したのが山形県の米沢松川ライオンズクラブ(伊藤剛会長/40人)だ。米沢からはるばる車でやってきた。クラブで開発した「上杉毘沙門焼鳥」と、かき氷を販売する。これは、米沢松川ライオンズクラブが東日本大震災をきっかけに実施している資金獲得事業である。収益は東日本大震災を始めとした災害被災地に義援金、物資の形で寄贈している。今回は直前に起きた西日本豪雨災害への支援をすることにした。

山形県の中でも岩手県、宮城県に近い位置にある米沢で活動するクラブにとって、東日本大震災は他人事ではなかった。すぐにクラブで支援をしたいと考え、現地に向かった。しかし、そこでは限られた支援しか出来なかった。米沢松川ライオンズクラブはそれまで災害支援や資金獲得事業を実施した経験がなく、ノウハウを持っていなかったのだ。クラブは予測出来ない災害に対処するためには、普段の努力が必要だと考え、2011年の6月に行動を開始した。地元、米沢で開催されたお祭りに出店し、収益を義援金として被災地に送った。その後もクラブでは年に何度も各地のお祭りやイベントに出店。収益を被災地に送り続けている。

その中でクラブとして「軸」が必要だという話が出てきた。「米沢松川ライオンズクラブと言えば◯◯」と言われるような、看板商品を作った方が、より売り上げが伸びるのではないかという意見だ。そこで開発したのが「上杉毘沙門焼鳥」だ。ネーミングは米沢市にゆかりのある戦国武将・上杉謙信と、彼の軍旗にも記された毘沙門天から取っている。タレを工夫して差別化を図ると共に、目の前で豪快に焼き上げるスタイルにすることで、お祭り会場の中で一際目立つ存在を目指した。こうしてスタイルを決めたことで、メンバーそれぞれが何をすればいいのかが明確になった。のぼりを作り、必要機材も固定されたため、この出店が一つのパッケージとして確立した。車から機材を下ろすと、それらをあっという間に配置し組み立てる。手慣れたものだ。

東日本大震災をきっかけにメンバーに意識の変化が起きた。それが今も続いているのが米沢松川ライオンズクラブの特徴だ。塩竈みなと祭を始め遠隔地での資金獲得事業に、全員が来られるわけではないが、当日参加出来ないメンバーも米沢での準備を精力的に行っている。

クラブが塩竈みなと祭に出店するのは昨年に続いて2回目。震災直後の支援を通じて交流が出来た塩釜ライオンズクラブの志賀重信元地区ガバナーの紹介で参加することになった。昨年の実績を踏まえた上で、かき氷や焼き鳥の販売量などを計算して現地入りした。

販売が始まるとメンバーがよく通る声で宣伝をする。同時に通りがかったお客さんに試食を勧めていく。
「自信があるから試食に出してるんですよ」
メンバーのその言葉に偽りはない。呼び止められた人は皆「おいしい」と顔を輝かせる。お客さんが食べている間にメンバーはライオンズクラブが実施していること、収益は全て災害支援に充てていることを語る。特に今回は西日本豪雨災害に対しての関心が高かったこともあり、「じゃあ一つください」と列に並ぶ人が多かった。

このように、クラブで試食を出しているのは販売促進のためだけではない。ライオンズクラブの存在を多くの人に知ってもらうこと、あくまでも災害支援のための資金獲得事業として出店していることをアピールするためでもある。押し付けにならないよう、丁寧に説明する。最初は興味がなさそうだった人も、その真摯な態度に、真剣に耳を傾けるようになっていた。

メンバーの呼び掛けや試食の効果もあって、かき氷も焼き鳥も売れ行きは好調。瞬く間に列が出来、飛ぶように売れていく。夕方には花火大会を待たずにどちらも売り切れた。

今回の売上金を含めたクラブの復興支援資金からは西日本豪雨被害の深刻だった岡山、愛媛のライオンズクラブへ支援を行った。

クラブでは今後も各地で上杉毘沙門焼鳥を販売していく予定だ。米沢を飛び出し、災害支援を行う米沢松川ライオンズクラブの挑戦は続いていく。

2018.08更新(取材・動画/井原一樹 写真/関根則夫)