フォーカス 歌手として、住職として、
共に生きる喜び

歌手として、住職として、共に生きる喜び

明覺寺(めいかくじ)は1490年の創建で、現在は浄土真宗本願寺派の寺院として歴史を重ねています。その中で「寺は人が集うところ」という考えの下、子ども会、法話会、夕方市、落語会などさまざまなイベントも行っています。その一つ、月3回開いている歌の会「明歌会」は、昨年3月に10周年を迎えました。唱歌や叙情歌、フォークソングなど親しみやすい歌を、大きな声を出して楽しく歌い、心も身体もリフレッシュ。そして私も元気を頂いています。

私は小さい頃からピアノに親しみ、高校からは声楽に転向して芸大に入学しました。卒業後、演奏活動を始めていましたので、お寺に嫁ぐことになった時は、「歌だけ歌ってたらいいから」というのが夫との約束でした。お寺の息子だった夫は同じ大学で作曲を学ぶ先輩でした。約束の通り、嫁いでからは歌手としての演奏活動と子育てを中心にした生活でしたが、毎日お寺で暮らすうちに、お寺って何だろう、仏教ってなんだろうと思うようになりました。ある日突然、得度(とくど)させて頂こうと思い立ち、私が得度したいと申し出た時の義父の驚いた顔は今でも忘れられません。周りの誰も、そして本人すらも予測しなかったことでしたから。ただ、得度をして僧侶になってからも、私の気持ちは歌手としての活動に向いていました。
 
住職だった夫に不治のがんが見つかったのは、得度してから10年余りが経った頃です。夫は子どもがまだ小さかった頃に一度がんを患いましたが、手術が成功して体力も回復しましたのでもう大丈夫と思った矢先のことでした。医師からは延命治療しか出来ないと知らされ、抗がん剤や放射線の治療を続ける日々は2年半余りに及びました。その最中、前住職の義父が重い病に倒れて亡くなり、夫がお医者様から余命3~4カ月の告知を受けてホスピスに入ったのは、それからまもなくのことでした。

ホスピスで私が歌手であることが知られて、サロンコンサートが開かれることになりました。季節は秋。患者さんとご家族、スタッフの方々の温かな拍手に迎えられて、1曲目は私の好きな唱歌「紅葉」を歌いました。歌い出すと同時にほとんどの方が泣かれて、私も目の奥が熱くなりました。終わりゆくこの世の「いのち」と向かい合う不安な日々の中で、お互いの「こころ」がつながり合った瞬間でした。会場の皆さんの涙はやがて穏やかな笑顔に変わり、口ずさんでくださる方もあり、「私の歌はこの日のためにあったのだ」と思いました。とても幸せなコンサートでした。

その年の暮れ、お医者様の告知は現実となりました。前住職も住職もいなくなった明覺寺の行く末を案じてくださっていた方も多かったと思います。私も戸惑うばかりでしたが、皆様のおこころによって、自然に住職に就いたように思っています。うちは小さな寺で、ご門徒さん(浄土宗派ではお檀家さんのことをこう呼びます)が数も少ないですから、迷っていた時にお一人おひとりの優しい顔がすぐに浮かんだのです。つまり、ご門徒さんに支えられたんですね。得度しようと思ったのも、お寺を継ぐことが出来たのも皆さんのおかげ。住職になるために必要な資格を取るための勉強を始めた時、初めはもうちんぷんかんぷんで無理かもしれないと思った時も、励まし合える仲間がいてくれました。 

京都グレース ライオンズクラブの奉仕活動でクリスマスにデイサービスを施設訪問

歌手としてボランティア活動に取り組むようになったのは、ライオンズクラブに入会したのがきっかけです。それまでも興味はありましたが、入り口がなかったんです。私がライオンズに入会するなんて思いもよりませんでしたが、京都に女性だけのライオンズクラブを結成するからとお誘いを頂き、初めは固く辞退しましたが、結局お友達を誘って2人で入会しました。そして、これまた思いがけず京都グレースライオンズクラブの初代会長をお引き受けすることになり、私自身もびっくり。何も分からないまま右往左往する毎日でしたが、視覚障がい者施設や支援学校などを訪問させて頂き、一生懸命に生きておられる方のお姿から教えて頂いたことがたくさんありました。クラブの当初からの奉仕活動として幼稚園での読み聞かせと、デイサービス施設を訪問してみんなで一緒に歌う活動も続けています。皆さん「また来てねー」とすごく喜んでくださるんです。もともと私がしたいと考えていたこと、「人の輪を広げる」ということが、ライオンズという傘の下に入ることで実現出来て、良いきっかけを頂いたと思います。

私は20年ほど前から市内のホテルでディナー・ショーを続けていましたが、3年前、コンサートの原点に戻りたいという思いで、ホールでリサイタルを開くことにしました。同時に「父のコンサート実行委員会」を立ち上げ、コンサートに障がいをお持ちの方を招待し、プログラムの広告収入などの収益は障害者施設などへ寄付しています。今年は児童養護施設へも寄付し、子どもさんたちのレクリエーションの費用の足しにでもして頂ければと思っています。

一緒にリサイタルを作っていく舞台監督から、「めぐみさんは『歌わせて頂いてる』って言うね」と言われたことがあります。若い時は自分が歌い、皆さんが聞いてくださるのだと思っていました。でもホスピスでのコンサートの時に、私が歌うのではなく、聴いてくださる人がいるから、私が歌わせて頂けるのだと気付いたのでした。その結果、歌を通して、出会いの喜びを分かち合うことが出来、それが私の何よりの喜びとなっています。これはお寺でも同じことです。浄土真宗はみんなで声を出してお経をあげるのですが、毎回、お経をあげている時、こうやって声を合わせて一緒におつとめ出来ることは本当にありがたいことだと感謝の気持ちが湧いてきます。もちろん、京都グレース ライオンズクラブの楽しい仲間と活動する時も同じ気持ちです。日々のさまざまな場面で、ご縁を頂いた皆様と、今日を共に生きる喜びを大切に感じています。

2018.07更新(取材/河村智子)

はしらもと・めぐみ 京都市生まれ。明覺寺住職。京都市立芸術大学を卒業後、ソプラノ歌手として国内外のコンサートに出演。京都市交響楽団を始め各地のオーケストラとも共演している。後年、歌手名を藤田めぐみと改名。ジャズ、ラテン、カンツォーネ、映画音楽など多彩なジャンルで演奏活動を展開している。各地で日本の歌の心を伝える活動にも取り組み、唱歌、叙情歌などを歌う「明歌会」を主宰している。『京都新聞』のコラム「暖流」を執筆中。2014年5月京都グレース ライオンズクラブ入会、初代クラブ会長、結成5周年を迎える今年度(18-19年度)2度目のクラブ会長を務める。