テーマ東日本大震災被災地で続く
顔の見える支援活動

東日本大震災被災地で続く顔の見える支援活動

多くの命と人々の営みが奪われた未曽有の大震災から10年。ライオン誌日本語版が岩手、宮城、福島の東日本大震災被災クラブの会長を対象に行ったアンケート調査(2020年12月実施)で、回答を寄せた23人のうち22人が、「時間の経過と共に全国的に震災の記憶が風化してきていると思う」「どちらかと言うとそう思う」と回答している。ここ数年各地で多発している豪雨災害や、昨年春からの新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、被災地以外の地域では復興に対する意識が薄れてきているのが現状だろう。

時間の経過と共に震災の風化が進んでいく中、千葉ネオ ライオンズクラブ(金英泰会長/53人)は10年にわたって被災地に足を運び、人との絆を大切にしながら支援を継続してきた。

クラブとして最初に支援活動を行ったのは、地震発生から9日目の3月20日。同じ千葉県内の旭市ボランティアセンターに運搬用一輪車やスコップなどの支援物資を寄贈し、復旧作業に参加した。その翌週には、全日本のライオンズによる支援物資を福島県猪苗代市の集積所へ届ける役割を担った。そして4月始め、クラブで集めた支援物資を、津波で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市へ運び、被災地の情報発信と支援物資の配布に奔走していた石巻中央ライオンズクラブの阿部浩さんの元を尋ねる。更に、ゴールデンウィークに訪れた南三陸町では、開催中の「福興市」で活動していた南三陸志津川ライオンズクラブのメンバーを手伝った。

そうして被災地のクラブとつながりが出来ると、石巻市や南三陸町を中心に被災地へ通い、地元のライオンズや被災者から必要とされる支援についての情報を入手した。千葉ネオ ライオンズクラブの被災地支援は、被災地で顔を合わせた人からじかに要望を聞き、千葉へ戻って調達しては届けるという「御用聞き」さながらの活動だった。

日用品や食料品の寄贈や避難所での炊き出し、復旧作業といった活動と並行してクラブが早い段階から取り組んだのは、中古自転車の調達だった。被災地では移動手段が無いので自転車が欲しいと聞き、放置自転車などを譲り受けてメンバーの手で整備し、トラックに積んで運んだ。石巻へ10台、南三陸へ10台、岩手県大槌町へ20台と希望する各地のライオンズクラブへ届け、4月からの3カ月間で運び込んだ中古自転車は150台に上った。

しばらくして被災地の産業が再開し始めると、トラックの積み荷はオフィス備品に変わった。漁協の加工場で作業するための台が無いと聞き、千葉県内の事業者から移転などで不要になった事務机や会議テーブル、椅子を提供してもらった。更に、長引く避難生活で疲弊する被災者を元気付けようと、アマチュア落語家やマジシャン、ヨガ講師等と一緒に仮設住宅を訪問して「笑って楽しんで体を動かし健康で」と題する催しも開いた。

南三陸町では、ボランティアセンターの依頼で町はずれにある清水寺(せいすいじ)の復旧作業を手伝ったのをきっかけに、津波で破損した漁船の修理も引き受けた

千葉ネオ ライオンズクラブは1997年6月、青年会議所(JC)のOBを中心とする平均年齢37歳の会員23人で結成された。クラブ名の「ネオ」には「更に次へ」という意味合いが込められていたが、当初は思うような活動が出来ずに会員を大きく減らしたこともあった。その持ち前の若さと行動力は、東日本大震災を機に存分に発揮されることになる。継続的に被災地支援に取り組むために、クラブ内に復興支援室を設置。被災地での支援活動では、JC時代に阪神・淡路大震災の被災地支援を経験した吉田国代志元会長が先頭に立ち、被災地へ行くことが出来ないメンバーは自転車整備などの後方支援で力を発揮した。

クラブ・メンバーの一人で、千葉県(333-C地区)のライオンズクラブを統括する岩沼忠伺333-C地区ガバナーは、そうした支援を可能にしたクラブの特長を次のように述べる。
「出来るか出来ないかではなくて、どうやったら出来るかと考えるのが我々のクラブです。型にとらわれることがなく、緊急時にも素早い意志決定が出来る。メンバーは皆、何かしら特技を持っているので、力を合わせれば大抵のことは出来るし、クラブの中だけでは難しいことがあればメンバーの人脈で手助けしてくれる人が集まってくる。そうした人の中から一緒に活動したいと入会を希望する人も出てきました」

震災発生から6年、千葉ネオ ライオンズクラブが結成20周年を迎える時までに、被災地への訪問回数は44回を数え、使用した車両数延べ119台の総走行距離は16万7450km、地球4周分にも及んでいた。そして、震災前に30人を下回っていた会員数は、結成20周年の17年3月には50人になった。

クラブは被災地へ足を運んで活動する他に、産業の復興を支援しながらクラブの被災地支援活動の資金を調達する事業も実施している。毎年8月に開かれる恒例行事「千葉の親子三代夏祭り」で、被災地の物産を販売する活動だ。震災から5カ月後の初回は被災地からさまざまな物産や復興グッズを仕入れて販売したが、翌年になって売り上げが落ち込むと、今度は三陸産の焼きホタテの販売に切り替えた。2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になったが、19年の祭りでは2日間で焼きホタテ2000枚を完売した。

この3年程は、南三陸町内の保育所に遊具を寄贈する活動などで被災地訪問を続けている。昨年はコロナの影響で被災地へ行くことは出来なかったが、石巻市で移動が困難な住民の送迎ボランティアを行うNPOの支援や、三陸の海産物購入などの支援を行った。

10年にわたる支援活動の中で特に印象に残っていることは何か、吉田元会長に尋ねると、次のような答えが返ってきた。
「印象に残っていることは行った回数だけありますが、ライオンズクラブの支援で石巻市に建てられたこどもハウスに寄贈する本棚の設置に伺った時、そこで出会った子どもたちの笑顔が、何にも代えられないものとして胸に残っています。10年間支援活動を継続出来ているのは、被災地の皆さんの笑顔と人柄がメンバー全員の情熱と活力につながっているからだと思います」

吉田元会長はもう一つ、千葉ネオ ライオンズクラブのメンバーの胸に深く刻まれている言葉があると教えてくれた。被災地支援に情熱を注ぎながら志半ばで逝った故・松戸良雄元会長が、口癖のように繰り返していた言葉だ。
「継続は力なり。『お前らもう来なくていいよ』って言われるまで通うから! 千葉ネオ ライオンズクラブはしつこいんだから!」

被災地の人々との交流を糧にした千葉ネオ ライオンズクラブの支援活動は、この言葉通りに、被災地の復興を見届ける日までしつこく続いていくに違いない。

2021.03更新(取材/河村智子 写真提供/千葉ネオ ライオンズクラブ)